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バレンタインデーとは
2010年02月08日 12:06
初めに、
みるみる悪くなる私のパソコン、今年になって使っているPCが昨日、突然インターネットが不通になってまだ復旧してません。もう一台、それまで使っていたのに繋げましたが今度は遅いのと日本語変換ができず昨日のウラデジの様におかしなことになっています。お詫び致します。
それでは
バレンタインディ またはセントバレンタインデー(St. Valentine's Day)の事、皆様は御存知ですか?
現在は、2月14日に祝われ、世界各地で男女の愛の誓いの日とされてますが
、 もともと、269年にローマ皇帝(クラウディウス2世)の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(テルニのバレンタイン)に由来する記念日であるとされています。
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼります。 当時はまだ、2月14日はローマでは”女神ユノの祝日”だった。
ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもありました。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日でした。当時若い男性達と女性達は生活が別だったので、祭りの前日、女性達は紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていました。 翌日、男性たちは桶から札を1枚引き、引いた紙の男性と札の名の女性は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていました。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚!という流れが
多かったようです。そしてローマ帝国皇帝(クラウディウス2世)の時代に、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士婚姻を禁止した。しかし、それに反対だったキリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させていたが、捕らえられ、処刑されてしまいました。
処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれました。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げ贄とされたのです。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったようです。
しかし現在2月14日のウァレンティヌスの記念は、第2バチカン公会議後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理された際に取り除かれたため、
現在では祝日にはされておりません。
女性が、主にチョコレートを贈る習慣は日本で始まったものですが、元々19世紀後半のイギリスで始まってました。キャドバリー社の2代目社長リチャード・キャドバリー氏が1868年に美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売しました。 また、キャドバリーはこれに前後して、ハート型のバレンタインキャンディボックスも発売しました。これらのチョコレートボックス等がバレンタインデーの恋人への贈り物に多く使れるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わって行きました。そして、日本では、神戸モロゾフ洋菓子店が1936年2月12日に、国内英字雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出し、1958年2月に伊勢丹新宿本店でメリーチョコレートカムパニーが「バレンタインセール」というキャンペーンを行いましたが、どちらにしても、あまり売れなかったようである。
また、びっくりですが現在では日本のチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となっています。昔は、女性が男性にチョコレートを贈り、そして同時に愛の告白をする日とされていましたが、現在では既に交際中の恋人や、結婚している夫妻の間でも行われるようになり、そして、上司や同僚、ただの友人などの恋愛感情を伴わない相手にもチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣や女性が女性へチョコレートを贈る「お世話チョコ」という習慣も生まれているようです。
当日か前日に書きたい内容でしたがPCが先に言った状況ですのでどうなるかわからず前もって書かせて頂きました
このデジログへのコメント
へぇー(∩∇`)
豆知識だね☆ヽ(▽⌒*)
どこで習ったの?(笑)
> みほりんさん
長く生きていれば情報はたくさんあるよ。これは情報秘密。バレンタインデーを検索していれば載っているのではないかなあ。私は調べていませんが。知りたければいくらでも調べられるよ
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