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節分
2010年02月03日 08:02
2月3日、今日は節分ですね。
過去 [編集]
節分の行事は宮中での年中行事であった。延喜式をひも解くと、宮中ではこの日、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾ったもの。もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は、平安時代頃から行われている「追儺」(ついな)から生まれた。矢で鬼をはらう中国の風習であったが、日本では炒った豆で鬼を追い払う行事が追儺の際に行われた[1]。
近代以降 [編集]
近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、節分当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになった[1]。一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けた物を門に掛けたりするところもある。これは、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためである。
節分の日付は現在は毎年2月3日であるが、これは1985年から2024年ごろまでに限ったことであり、常にそうではない。
1984年までは、4年に1度の閏年に2月4日だった。2025年から(2021年からになる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になる。グレゴリオ暦での最初の節分となった1873年から22世紀初頭までの具体的な日付は表のようになる(重複している年はどちらの欄を使っても正しい日付が出る)。節分の日付は数十年のスケールで徐々に前倒しになってくるが、4で割り切れても閏年とならない1900年、2100年、2200年……の翌年に1日遅れて帳消しとなる。
節分は立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年よって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。なお厳密には、基準とする標準時によっても節分の日付は異なるが、日本以外では節分を祝う風習がないので、旧正月のように国による日付の違いが話題となることは少ない。
各種行事 [編集]
邪気を追い払う為に、この節分には古くから行事が執り行われている。
豆撒き [編集]
豆撒き(東大阪市・徳庵神社)豆を撒き、撒かれた豆を、自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないというならわしがあるところもある。豆は「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある[1]。寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式を起源とした行事であり[1]、室町時代の書物の記載事項が最も古い記載事項から少なくとも日本では室町時代以降の風習となっている。初期においては豆は後ろの方にまくことが始まりだった。
使用する豆は、関東・東海・西日本・北九州では炒った大豆 (炒り豆) である。北海道・東北・北陸・南九州では落花生をまく(大豆よりも回収し易く、殻ごと撒くため地面に落ちても食べられる、等の利点がある)。
豆を撒く際には掛け声をかける。掛け声は通常「鬼は外、福は内」であるが、地域や神社によってバリエーションがある。鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「鬼も内(鬼は内)」としている[1]。家庭内での豆まきで、「鬼」の付く姓(比較的少数だが「鬼塚」、「鬼頭」など)の家庭もしくは鬼が付く地名の地域では「鬼は内」の掛け声が多いという。特色ある節分祭・節分会も参照。炒った豆を神棚に供えてから撒く地方もある。
節分の時期になると、多くのスーパーマーケットでは節分にちなんだコーナーが設けられ、その中で福豆(ふくまめ)として売られている。厚紙に印刷された鬼の面が豆のおまけについている事があり、父親などがそれをかぶって鬼の役を演じて豆撒きを盛り上げる。しかし、元来は家長たる父親あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払うものであった[1]。
小学校では5年生が年男・年女にあたる。そのため、5年生が中心となって豆まきの行事を行っているところも多い。神社仏閣と幼稚園・保育園が連携している所では園児が巫女や稚児として出る所もある。大きな神社仏閣では、節分の日に芸能人・スポーツ選手・等が来て豆をまくようなことも行なわれ、イベント化しているとも言える。
以前は豆のほかに、米、麦、かちぐり、炭なども使用されたというが、豆撒きとなったのは、五穀の中でも収穫量も多く、鬼を追い払うときにぶつかって立てる音や粒の大きさが適当だったことによる。また炒り豆を使用するのは、節分は旧年の厄災を負って払い捨てられるものである為、撒いた豆から芽が出ては不都合であったためであるという。
お化け [編集]
節分お化けとも。東京の浅草、京都の花街、大阪の北新地などでは、芸者(舞妓、芸妓)やホステスが、節分の前後に通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をする。これを「お化け」と呼ぶ(一説には当初は子供の様な格好をしたことから「お坊髪」と呼ばれ、それが「お化け」になったといわれている)。いつもと違う扮装をすれば、魔を追い払うことが出来る、と信じられたことから始まったもの[1]。かつては一般人、一般家庭でも行われていたが、お客への呼び物になるせいか、花街のみに残った。しかし近年は京都市内を中心に、一般市民の「お化け」も復活の兆しを見せている。
日本の節分祭・節分会 [編集]
中尊寺(岩手県平泉町)-大相撲人気力士を迎え、厄男厄女による厄払い招福を祈る
龍光寺(群馬県富岡市)-園児が厚化粧、裃を着て登場(一種の稚児行列)
鬼恋節分祭(群馬県藤岡市)- 「福は内、鬼は内」! 鬼呼び豆まき。合併で消滅した鬼石町の名にちなむ。
鬼鎮神社(埼玉県嵐山町)- 「福は内、鬼は内、悪魔は外」
三峯神社(埼玉県秩父市)- ごもっとも神事
總願寺(埼玉県加須市)- 大たいまつの赤鬼、有名力士、稚児行列
五條天神社(東京都台東区)- うけらの神事。中国の唐から伝来した平安時代のままの大儺の儀式が催行される
成田山新勝寺(千葉県成田市)- 「福は内」、有名力士、芸能人が多く登場
池上本門寺(東京都大田区)- 境内に鬼子母神を祀るので「福は内」、力道山の墓所があるためプロレスラーが出仕する
稲荷鬼王神社(東京都新宿区)- 「福は内、鬼は内」
箱根神社(神奈川県箱根町)- 厚化粧の少女の巫女たちが水上スキーの鬼に豆を撒く
最乗寺(神奈川県南足柄市)-舞妓(京都から出張)の豆撒き
報恩寺(千葉県長南町)- 「福は内、鬼も内、鬼の目玉ぶっ飛ばせ!!」
成田山福井別院(福井県坂井市)-舞妓の豆撒き
鬼岩福鬼まつり(岐阜県御嵩町)- 「鬼は内」
大須観音(名古屋市中区)- 鬼の面を寺宝としているため「福は内」のみ[1]
八坂神社(京都市東山区)-舞妓の豆撒き
廬山寺(京都市上京区)-三色の鬼が舞い踊る
大原神社(京都府福知山市三和町)- 「鬼は内、福は外」
日吉大社(滋賀県大津市)-破魔矢を射る「放射の儀」
蔵王寺(奈良県吉野町)- 「福は内、鬼も内」
長田神社(神戸市長田区)- 七匹の鬼が、松明で種々の災を焼き尽くし太刀で不吉を切り捨て、踊る
吉備津神社(岡山県岡山市)-豆まきのあと焚き火を囲んでほら吹き大会-ほら吹き神事
防府天満宮(山口県防府市)- 神くじにより御神幸祭の神牛役を定めるという牛替神事
須佐神社(島根県出雲市)-蘇民将来の説話にちなんで茅の輪くぐりや神楽の奉納がある
玉泉寺(曹洞宗)(福岡県北九州市)-節分の民話が伝承され 、豆撒き由来のお寺とされている。
やはり由緒ある行事なのですね
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