- 名前
- そよ風タンポポ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 76歳
- 住所
- 岐阜
- 自己紹介
- 私は61歳になる独身の男性です。さまざまな困難な体験を経て、今はありのままの自分を生...
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私は人の依存性をたかめる関わり方をしているのかもしれない
2009年10月31日 07:40
先日取り上げた、愛と心理療法、という本を読んでいて、
私の今の新しい家族などに対する関わり方は、
かららの自立性を高める方向にではなく
依存性を高める方向になっている部分があるのかもしれないと思った。
たとえば兄に対し、兄が過去にそう状態になったとき
1ヶ月で8万の携帯電話使用料を払わなければならないほど
携帯を使いまくったときがあった。
当時兄は岐阜病院を退院してアパート暮らしを始めたときであり
何かと連絡を取る必要があり、
携帯電話でしか連絡のとりようが無く、
基本的に受けだけで使う約束をして、
金のない兄に代って兄の携帯を私名義で買い
彼に与えたのだった。
その約束を破り、彼は携帯を使いまくったのだけど、
それを払える金も持っていなかった。
私名義にしてあったから、そのような多額の代金を兄が払えないなら
私が払う以外になかったのだけど、
今にいたるまで、そのときのお金を返してもらっていない。
そのほかそのそう状態のときには、他にも彼の家具の代を、
生活保護費などが下りてきたときに、支払うという約束で出したけど
支払って貰っていないものがある。
忙しかったこともあるけど、そういう兄に金を科す形になった金の額を
正確に書き留めるなどして証文などを作ってはいない。
その後も、最近もそうした私に対する借金を返すよう兄に言ったことはある
ここで兄がうつに落ち込んで生活していると
ある程度生活保護費が溜まってきたりして、
支払能力が出来てきたりしていると私が判断したときだ。
だけど兄は支払わない。
その兄に対し私は強く支払いを求めない。
妹に対しては、労賃として月3万ぐらいのお金を払っている。
いもうつはいつも家の掃除や片付けなどで忙しくしているといい
榊の小束用の枝をそれを作ってもらうところに運んで貰っていたりするから
その代金という形だ。
彼女からは、食費も、電気代ガス代テレビ代など貰っておらず
それらのすべてを私が支払っている。
本来は彼女が1日3時間ほどでもいいからパートなどで働き
あるいは針灸師として自分で稼ぎ
そうしたお金を支払う義務があるとは思っているけれど、
私は彼女の精神的な障害や身体的な疲れやすさなどからして、
そうしたことは今は出来ないと判断して、それを肩代わりしている。
もちろんいつかは自立して、
そうした支払いが出来るようになる必要があるとは
常に妹に言っている。
妹は食費は野の花社の食事代として新ちゃんや兄から各3万ほど徴収して
使っているし、私が農協のキャッシュカードを渡していて
そこからも食費として自由に使って良いとしているから
職の支払いにそう困ることはないはずである。
そのほか私自身が食料をつきに3,4万円は購入してきている
もっと多い気もするけど
そのことからも、妹に渡される食費が少ないとは言えないはず
その妹が使っている車は、私が家族みんなで食事や
何かの折に出かけるときに使える車として買ったスバルの軽、バイボ
だけど、購入した際妹に使うのは自由だけど
妹専用の車として使うように買ったわけではないから
妹の荷物を積み込んで、私が自由に使えないようにしないようにと
言っておいたのだけど、妹は多くの荷物を積み込み
妹しか使えないようなものにしている。
妹はガソリン代は自分で払ってはいるものの、
保険代を払っているわけではない。
良くそんなことが出来るなーという思いはあるけど、
まあしかたないかと思ってきてしまった。
軽トラもあるから、それも使えば、バイボを使わなくてすむこともあるけど
あの本を読んで、
私自身が妹の依存性をたかめる関わり方をしているのを感じ、
それまでも何度か言ってきたことだけど、
やはりバイボから妹の荷物を下ろすように強く言った。
妹はそうすると言いはした。
そのほかここにきたいもうとの連れ合いが自動車免許を取る必要を感じ
そうしないと彼がここで経済的に自立できるための働き方が
出来ないと言う判断からだけど
そのためのお金30万ほどを私が出すことにしている。
彼には蓄えが無いからだけど。
彼は妹や兄と違い、これまで自分で働いて生活してきた人だし、
ある程度稼ぐようになれば返して貰えるという確実な見通しはあるのだけど
本来は彼が自分の友人にでも分けを話、
そうした人からお金を借りるよう強く働きかけるべきものかもしれない。
しかし彼にはどうもそうした友人がいないようだということから、
私が出す以外になく、そうしないと結局彼の経済的自立が遅れ、
私の負担が長引くことになるということがあるからだけど。
そのほかにも3年ほど前に、同業者の知人にの死ごとを半年ほど手伝い
彼の支払いがルーズだからやめてしまったことがあるのだけど、
10万ほどは支払って貰う必要のある金があるのに、
彼の妻や子供が病気がちであり、少し待ってほしいということで
それ以後ほとんど請求しないで来たようなこともある。
私の他者に対する関わり方の中に、
他者に依存性を高めるような関わり方をしている部分があり
そのことで自分自身を苦しめている
あるいは自分のエゴを高めている、
つまり彼らより良い人間だというような
立派な人間だと言うか
そんなことを無自覚に楽しんでいる自分がいるのかもしれない。
もう少しそうしたことに関し考え直してみたい。
なにかアドバイスなり意見のある人はコメントください
ps
ここでの食事の用意は、新ちゃんや妹の連れ合いがすることが多く、
妹はそれをときどきてつだうという感じだし、洗濯も私もよくするし
妹の連れ合いも良くするから、妹任せではない。
食料の買出しも私が仕事の帰りや、休日などによくするし、
普通に考えると、そう多くのことを妹がしているようには感じない。
ただ心身の弱い妹にしては、大変な量があるのかもしれないと思うが
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