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ふたつの列。

2008年10月23日 01:41

飛騨高山に住む絵描きの友人から手紙が来た。
久しぶりだった。

地元にある大型スーパーで何かいい感じのカレンダーを見つけたので、手に取ってみたら○○○○さんの絵のカレンダーだったから、びっくりして手紙を書いた、という内容の手紙だった。

こんな形での交流が出来るのはほんとうに嬉しい。
早速昨日その友人に手紙の返事を書き、今朝、送った。

......

バイト先の印刷会社は工業団地内にあり、その周りには何にも商店が存在しない。コンビニぐらいあっても良さそうなものだけれど、それもない。だから昼が大変だ。いつも弁当を持参して仕事に向かう。毎日梅干し入りおにぎりを持って行っている。

コンピューターに向かう作業が延々とつづく。
最近では随分と慣れた感じがしているが、以前自分はコンピューターが大嫌いだった。世の中にパソコンが普及し出した頃、自分は頑ななまでにそれを拒否し続けていた。
ところが、足に障害を抱えているために、仕事がなかなか見つからず、もう仕方ないと観念して半年間のパソコンスクールに通うようになった。

そのときに迷うことなくMacを選んでしまったわけだったが、仕事用にはウィンドウズを選ぶべきであったかも知れない、と何度か後悔もした。それでも今考えると、Macで良かったのかも知れない。フォトショップイラストレータークォークというDTPには当時必須だった3つのソフトを使えるようになれたお陰で、いま、いろんな点で役に立っている。いまの仕事ももしクォークをやって来なかったら全く出来ずにいたかも知れない。

そう言えばパソコンをやるようになって、はじめの数年間は頭痛に悩まされた。しょっちゅう襲って来る頭痛にいい加減嫌気がさしたりもした。なかなか身体がそれについて行けなかったのだろう。
…いまはすっかり慣れたけれど。



何かを覚えることで、決して損というものはないのかも知れない。
但し、覚えてしまったことで何か大きな損失をおぼえるときは確かにある。知らなきゃよかった、という事は人生に於いて多々ある。

覚える、と知る、は違うか…。

覚えることは能動的な行為だけれど、知るというのは能動でもあり受動的な事でもある。それはその環境によって大きく左右されるものだろう。

コンピューターによって、随分と便利な世の中になった。
だけれど、かえって世の中忙しくなってしまった。きっとそれは誰もが認めることではないかとも思う。誰もかれもが何だか忙しい。
元々労働時間を少なくて済むようにと発明されて来たいろいろな機械によって結局は振り回されて、僕たちは日々生きているというわけだ。

朝、仕事先に向かうとき、○○台駅前のバス停でバスを待っているとき、横にある建物の前で行列をつくる人たちがいた。何の行列かと思えば、それはパチンコ店の開店を待つ列だった。
これから仕事に向かう人たちのどこか暗く感情を押し殺したような表情の列と、どこか爛々とした思いを隠し切れていない様な意気揚々とした表情の人たちの列。
向かう先がちがうだけで、ここまで流れるものが違うのかと思うと何だかおかしくなった。

世の中だなぁ、と思いながら、バスに乗り込んだ。


......


『異国のたのしみ』という本を読みながら、職場まで通っている。
池内紀の文章はいつ読んでも惚れ惚れする。


いつもの車窓風景がいつものように流れて行く。


......

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