- 名前
- 西野 優奈
- 性別
- ♀
- 年齢
- 34歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 自由コメント:ビアンの女王様です。 大人の恋愛に大切な事:女の子とのセックス 出会う...
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How I Came to Be a Sexsual Pervert" ②
2025年11月29日 17:15
先にも触れましたが、「女子校ではビアンの性行為、または擬態行為が日常的に行われている」という噂は、私の経験から申し上げれば、ほとんど都市伝説のようなものです。
もちろん私はすべての女子校を調べたわけではありませんが、大学部に進学して親しくなった他の女子高出身の女の子たちの話を聞いても、状況はだいたい似ていました。
もっとも大きな理由は、女子校特有の厳しい校則と、教師陣による監督体制があったからだと思います。
私が通っていたS学園では特にそれが徹底されており、“沈黙の監視”とも言えるほどの配慮がありました。
象徴的なのは、トイレに常にシスターが一人、編み物をしながら無言で座っておられたことです。
説明はありませんでしたが、教師の目が届きにくい場所での「いじめ」や「淫らなイタズラ」を防ぐための「沈黙に依る抑止」だったのだと、今では理解しています。
信仰に生涯を捧げたシスター達の沈黙の姿勢は、一回の叱責以上に意外なほど強い効果を持っていたのだと思います。
友人同士の「あだ名」も表向きは禁止されていました。
幼稚部、小学部からS学園に在籍していた生徒には自然でも、高等部から編入した私にとっては、その特有な挨拶言葉と共に、戸惑いを覚えたものです。
けれど、あだ名が往々にして相手の特徴を揶揄する響きを持つことがあるのを考えれば、これも教育的な配慮だったのでしょう。
もっとも、十代の私たちが校則を完璧に守りきれるはずもなく・・・
教師達に見せる真面目な顔の裏で、こっそりスリルを楽しむことはありました。
あだ名も、悪意のないものに限って、教師のいないところで密かに交わされていました。
そして私も、編入して間もなく「隠れあだ名」をつけられました。
それが「エロイーズ」。
フランス人女性哲学者のエロイーズとは無関係で、私の外見と雰囲気が「エロい女」に見えたからだそうです。
「(お前)、エロいぜ」つまり「エロイーズ」という訳でした。
まぁ、中学三年にして、夜間とは言え、屋外で全裸を晒して悦に入っていた私の本質を、同級生たちはあっさり見抜いていたのでしょう。
さて、S学園には、長い年月の中で密かに伝わっていた「スミレごっこ」と呼ばれる擬態的なビアン遊びがありました。
誰もいない教室や更衣室で、仲の良い女の子同士がキスをしたり触れ合ったりする程度の、たわいもない悪戯に近いものです。
然し、S学園の教育理念に反する風紀を乱す行為として、学校が最も警戒していた行為でもありました。
しかし私は「スミレごっこ」の経験はありません。
それは「優等生」だったからではなく、そんな程度では満足出来なかったからです。
前回①にも書いた通り、既に”a Sexsual Pervert”になりつつある事を自覚していた私が求めていたのは、もっと深い、もっと濃密な「本物のビアンセックス」そのものだったからです。
そんな私がS学園に編入してすぐ、仲良くしてくれた子は、紗良ちゃん(仮名)と呼ぶ美少女でした。
ユーモアがあり、気配りがあり、・・・元はと言えば「エロイーズ」というあだ名を最初に口にしたのも彼女だったのです。
そして私と同じ、“真正のビアン”──それは、目線ひとつで分かりました。
視線の揺れ方、唇の緩み、その隙間から覗く舌の湿度。
そんな僅かなサインで、私たちは互いの心の深部を理解し合ったのです。
そんな私たちふたりが親友から恋人へと変わるまで、ほとんど時間はいりませんでした。
家も電車で一駅だけ。
放課後や週末、互いの部屋を行き来するうちに、ふたりの肉体は自然に、そして深く結ばれていきました。
勿論、お互いにとって初めてのビアンセックスでした。
唇から舌へ、舌から指先へ、そして秘められた花弁と・・・真珠へ──(真珠・ペルル=クリトリスの意味で今後、私は使います)
互いの反応を読み合いながら、幾重にも折り重なる快楽の層へゆっくりと沈んでいくような時間・・・。
ふたりで漂い落ちる感覚は、甘く、静かで、底が知れないほど深いものでした。
そんなとき、古典の授業で「後朝の別れ」と言う言葉に就いて、教師が妙にサラッと流す様な説明をしたのです。
生徒は敏感ですよね?
「なんか、アヤシいぞ」と・・・
私は早速調べてみました。
なぁるほど!そう言う事でしたか。
そして思いました。
“ビアンセックスの後、もっと一緒にいたいのに帰らなければならない”切なさを、私たちはすでに身に沁みて知っていましたから、「後朝の別れ」ーその言葉の意味が胸に強く響いたのです。
きぬぎぬ──
愛し合った恋人が下着を交換したことに由来する言葉。
その意味を知って以来、私たちはビアンセックスの後、。お互いのパンティを交換し、次の逢瀬までそれを身につけ合うようになりました。
布地に残る移り香──10代特有の「蒸れた恥垢臭」──を、嗅いで、密かに味わうために。
やがて、制服のソックスまでも交換し、足指や足裏の湿り気や饐えた臭いを確かめるほどに耽溺していきました。
「芳香」だからではなく、逆に私たち以外の他人には「不快なはずの匂い」が、此の上無い「愛の証」になる
─その「倒錯」に、私たちはただ酔っていたのです。
さらに、後に私が踏み入れることになるBDSM的な感性の萌芽も、彼女との間で育ちました。
向かい合って座り、おしゃべりしていたときのこと。
半袖から覗く紗良ちゃんの白い腕が、あまりにも愛しく、堪らなくなった私は思わず指先で彼女の腕を思い切り抓ってしまったのです。
『いったぁい、!何するのよ!優奈!』
さすがに紗良ちゃんは私に抓られたところをさすりながら抗議しました。
『だって・・・紗良ちゃんが・・・あんまり可愛いから・・・』
『……ジンジンする。あれ?なんか、気持ちいいや……優奈。もう一回やって。今度はもっと強く!』
その瞬間、私は倒錯へと踏み出していたのだと思います。
”Sexsual Pervert"として「あと一歩」の状態です。
そしてもうひとつ。
私たちが熱中した技として、ディープキス中の“唾液を往復させる”行為がありました。
何度も口移しに流し合い、唇から溢れた唾液が顎を伝い、首筋を滑り、乳房へ落ちるまで止めることができませんでした。
此れは異性愛者の皆様でも想像しやすい行為かもしれませんが、私たちにとっては──
もし時間という制約がなければ、永遠に続けられたかもしれない快楽だったのです。
S学園高等部で過ごした日々は、今となっては淡い影絵のように遠ざかっていきます。
けれど、紗良ちゃんと分かち合った熱と匂い、指先が触れた瞬間に生まれた微かな震えだけは、時の風にさらされても失われることがありません。
あれらは若さゆえの過ちではなく、私が「ビアンとして生き始めた」確かな印でした。
禁じられた空気の中で手探りに見つけた愛とセックスの形は、今でも静かに胸の奥で灯り続けています。
そしてその灯りこそが、「屋外で全裸を晒した」行為に続き、後の私の人生を形づくる光だったのだと、今ではしみじみ思うのです。




このウラログへのコメント
何と美しい思い出。
因みに紗良ちゃんは今でもビアンなんでしょうか?
> ベソさん
ありがとうございます。
彼女は「真性ビアン」です。異性愛者に変異する事は(私と同様)あり得ません。
それだけ厳しい学園でそれだけ自由に生きた優奈さんは立派です。
お相手に巡り合えたのは本当に幸運でしたね。
> koujiさん
‍
️‍
ヤリ放題だっただけです。
ありがとうございます。
学園外で
でも、不思議とS学園の事、今でも好きなんですよね。
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