- 名前
- いんきゅばす
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 愛知
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SMについての私的見解
2018年07月20日 13:40
愛知のS男性です。SM暦は20代の頃からで、かれこれ20数年。普通のHは興味ありません。SMとは、一般に思われている、鞭でしばくとか、縄で吊るしたり、スカトロといった即物的なプレイだけとはかぎりません。SMとは精神、心の開放と思っています。私は、M女に責めを与えることにより、M女のマゾ願望を満たし、至上の喜びを与えることを目的としています。責める事がM女にとって、最も望むものであり、心に秘めたM願望が開放され、感情が表に表れる。その姿を見るのがたまらなく好きなのです。これは普通のSEXでも同じように、男性にとって、女性をイカセたいと思う気持ち、それに通ずると思います。だから、SMは肉体的な責めは手段であり、その方法は千差万別でしょう。激しいプレイを望むMもいれば、嫌うMもいます。感情の高ぶりを覚まさないようにプレイをコントロールして、心の開放へと導いていく、私は、こう考えます。
SとMの関係は少なくともプレイではSはMを人としては扱いません。M女は対等ではなく、言うなればペットのようなものと考えます。
普段はSは紳士たるべきと考えます。女性は慈しみ守るべき存在と考えます。そしてM女はなるべく品がある方が望ましく思います。
そして、プレイではM女を物として扱います。弄び操りオモチャにして楽しみます。普段の姿とM女で淫らに悶え狂うギャップが大きいほど楽しめます。
私はSMプレイが「趣味」と思っています。「性癖」ですね。SM嗜好は良いとも悪いとも言えない、人間の性の一つと思っています。
SMに「愛」はありますが、それは恋愛ではありません。恋愛は男と女が互いに好きな人間同士の愛情。しかしSMの愛とは所有するものとされるものとの関係であると私は思っています。Sにおける愛情とは「愛着」または「愛玩」と私は思っています。
ちなみにMについては私は本当のところはわかりません。Sである私にはMの欲求を満たし、望みを叶える事は出来ますが、Mと恋愛関係になることはありません。Mはいわゆる「同好の友」、同じ趣味、同好の友」、同じ趣味、嗜好で欲求を充たし合うパートナーと思っています。
私は無理矢理は趣味ではありません。レイプなんて嫌いです。また、人に見せるのも好みません。SMショーとかは行きません。SMはあくまで隠し秘密にしておくものと私は思っています。
私のSM嗜好は、Mが自ら堕ちていくのを楽しむ事です。わかりにくいかもしれませんね。Mが自分から望んで責めを受け、自ら淫らに成り果てていく、そうした姿を観賞するのがたまらなく好きなんです(^O^)
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