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平山行蔵(宝暦九-文政十一)

2015年10月22日 00:24

平山行蔵(宝暦九-文政十一)

「風雲児たち」の登場人物中、個人的戦闘力で一番強そうなのは勝小吉だろう。彼はなぜあんなに強かったのか?ものすごく強い人が先生だったからだ。
近藤重蔵・間宮林蔵とならび「蝦夷三蔵」と呼ばれた平山行蔵その人である。平山潜、字は子竜、通称は行蔵。兵原などとも号す。三十俵二人扶持の伊賀組同心にすぎなかったが、山田茂兵衛に真貫流を学び、
その他武芸十八般をマスターして講武実用流を称した。四谷伊賀町の道場を「兵原草蘆」と名づけ、大量の武器と蔵書に囲まれて鍛錬を怠らなかった。彼の流儀は小手先細工を捨て一直線に敵の胸板をぶち抜くというもので、毎朝4時ピッタリに起きて木刀素振り400回居合い抜き300回、
書を読みつつ片方の拳で床板を殴り続けるという具合。食事は玄米飯に味噌少々、布団も掛けず板の上に直寝していた。こういうのが大好き松平定信は布団を贈ったが、
平山はそれを刀袋にしてしまった。その定信がロシアの脅威に悩んでいる事を聞いた行蔵は一策を献じた。「今の武士堕落しきって役に立ちません。伝馬町の凶悪犯どもを集めて囚人部隊を結成し、
蝦夷地に送ってロシアと戦わせましょう」この提案はあまりにもワイルド過ぎて採用されなかったが、実現してたら飛葉ちゃん役は小吉になっていただろう。見たかったね。彼の弟子には小吉のほかに男谷精一郎・下斗米秀之進(昔は「相馬大作」という講談で有名だった)などがいる。頼山陽も道場を尋ねたが門前払いされた。文政十一年に没。これだけすごい人なのに、彼を主人公にした小説山田風太郎短編「大いなる忍者」くらいしかない。※参考文献杉田幸三「決定版日本剣客事典」(2008.河出文庫)・勝小吉「夢酔独言」(1969.平凡社東洋文庫)

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