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マトリックス

2015年10月19日 01:21

マトリックス

映画「マトリックス」のように自分は水槽の中の脳である、とか、またこの世界の全ては未来スーパーコンピュータの中で行われているシミュレーション結果に過ぎないというシミュレーション仮説のような極端な考え方をしてみても、そこには水槽や脳や何らかの計算機が在る。仮にそうしたものの存在をすべてを否定してみたとしても、ある種のシミュレーション結果だけはどうしても残る。シミュレーション結果の存在さえ否定してみたとしても、そこには「何もない」「まったく何もないんだ」というその考え、思考と呼ぶべきようなものが、最後までどうしても残ることとなる。こうして「何が在るのか」という点については色々な答え方が可能とはいえ、「まったく何もない」と主張してこの問いを却下することがまず困難となっている。

次に、物理学の領域ではビッグバンにより宇宙が始まったという説明がなされることがあるが、こうした説明もまた答えとはならない。なぜなら問いの形が「なぜ何もなかったのでなく、ビッグバンがあったのか」に置き換わるだけだからである。ビッグバン真空の量子揺らぎから発生したといった説明もまた同様である。「なぜ何もなかったのではなく、量子力学法則にしたがって揺らぐような真空があったのか」、もしくは「なぜ量子力学法則などという自然法則があったのか」こうした形に問いが置き換わるだけである。同じように何か超越的な存在、たとえば神様を持ち出し、それが世界を作った、と説明しても話は同じである。「なぜ何もなかったのではなく、神様がいたのか」、こう問いが置き換わる。こうした例を見てわかるように、この問いは存在の根拠についてより基盤的なレベルの原理でそれを説明してみても、または因果連鎖を過去に遡ることによって答えようとしてみても、もっと基盤的な何かへ、もっと基盤的な何かへ、またはもっと過去へ、もっと過去へ、無限後退が生じるだけで、そこから答えは得られることはないだろうと考えられている。

時間の始まりの問題を避けるために永続する宇宙永遠の時間を想定してみても、解決は得られない。「なぜ何もないのではなく、永遠に続く宇宙があるのか」、こうした形に問いが置き換わるだけで終わる。

この問いは歴史学考古学のように過去の歴史を問う問題ではなく、あくまで「なぜ何かがあるのか」を問う問題である。またしばしば同時に扱われる関連した問い「なぜ世界はこのようになっているのか」というこの世界のあり方の根拠を問う問題とも区別される。

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