- 名前
- ブルーローズ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 62歳
- 住所
- 千葉
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趣味は読書、彼岸過ぎ迄
2014年09月26日 00:58
これは、漱石の小説の題名だが、まだ未読である。
結局、何もしないまま彼岸が終わった。
バチ当たりな話。
しかし、遊んでいるわけではない。
ふと、両親が居た頃は、どんな風に暮らしていたのだろうかと、思い出してみた。大金持ちになろうとか、偉くなろうとか、そんなことはもう無理だし、良しにして、せめて、両親が居た頃のような暮らし方まで戻したい。
僕の両親は青春時代に、戦争を経験した。思い起こせば、子供の頃、引っ越したばかりの三軒長屋の真ん中の家で、父は食器棚や下駄箱を作った。
後年、僕がサイクリング自転車に乗り、母が原付バイクの免許を取り、バイクを買ってからは、家の裏に、バイクと自転車を収納する物置を作った。
他にも、犬小屋やにわとり小屋も自作した。
時には、市販の肉まんを真似て、自家製の肉まんを作り、僕が美味しいと言わなかったら、「もう作ってやらん」と怒っていた。
母も、家の近くに畑を借り、ジャガイモや他の野菜を一時期作っていた。
僕も、「スターウォーズ」を横浜に一人で見に行った時、母にいなり寿司を作ってもらい、映画の後、高島屋の屋上で食べた。別に、何の疑問も恥ずかしさも、違和感も無かった。
父も母もお金を出して買うのは簡単だと口癖のように言い、工夫するよう言っていた。
僕は、言葉としてそれは理解したけれど、甘やかされて育ったので、結局、芯からは身に付かず、この歳になってしまった。
父の給料日に出る小銭を父は、小型の金色のダルマの貯金箱に貯めていたが、僕は時々、その後ろのゴム製の蓋を外して、ちょろまかしていたが、ある日曜日にその現場を母に見つかった上に、慌てて貯金箱を落として、陶器製のそれを壊してしまった。普段から、怖かった父にひどく怒られると覚悟したが、案外怒られなかった。
父が怖いと言っても、叩かれた思い出は一度くらいしかない。
何かの拍子に父に酷く怒られ、確か左の太ももを下駄の裏で叩かれた。大声で泣いて母に助けを求めたら、「左を叩かれたら右を出せ」と、逆に突き放されどこにも拠り所がなく、心細かったのを覚えている。男だったら、そのくらいしっかりしろという意味だったのだろうが、その時は、父よりも助けてくれない母を恨んだように思う。
とりとめのない事を、思い出してしまった。
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