- 名前
- ブルーローズ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 62歳
- 住所
- 千葉
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趣味は読書、エコ?
2014年06月13日 01:23
僕が子供の頃、日常の買い物には、母は買い物かごを下げて、買い物に行った。
小学生の頃、靴洗いを手伝うと、洗濯機の濯ぎの水で、靴も濯ぐように言われ、何の疑問も持たなかった。
父は、下駄箱や食器棚などを手作りしたが、自転車とバイクを買ってから、家の裏にその二台を置ける物置を作った。
ごく幼い頃、父は今で言う里山に入って、山芋を掘ったが、その時、その山の中でご飯を食べるのに、その辺の木の枝を折って箸にした。
山菜取りは当たり前。
僕も、まだ里山が残っている頃には、山イチゴや、アケビ、そしていけないことだが、桑畑に入って桑の実を食べて、舌を紫色にしたりした。
習字の練習に、半紙が真っ黒になるまで使ったり、おやつも、季節の果物や漬物などで、お菓子などそんなに口にしなかった。
中学三年の時だと思うが、一人横浜に「スターウォーズ」を見に行き、映画の後、髙島屋に屋上のベンチで、母に作ってもらったいなり寿司を食べた思い出がある。
僕の家は長屋の借家だったが、その大家さんのお婆さんは当時でも七十過ぎには見えたが、矍鑠として、ある日母とバス停でバスを待っていたら、そのお婆さんが後から来て、母にバスの到着予定時刻を聞き、まだ時間があると分かると、次のバス停まで歩いていた。
両親とも戦争を経験し、極端に物の無い時代に育ったので、漫然と物を買って暮らす生活に、抵抗があったようだ。
口癖のように「買うのは簡単だ」と言っていた。工夫して作ることに、喜びを見出していたようである。
父が日曜日、市販の肉まんを真似して、自家製の肉まんを作ったことがあった。僕はきっとおいしいと言わなかったのだろう。「もう作ってやらん」とひどく怒られた覚えがある。
インスタントラーメンの外袋の盛り付けの絵を見て、母は「こんなに沢山具を入れれば、何でもおいしいくなる」と言っていた。
エコバッグとか、レジ袋削減などと言っているが、昔は買い物かごが普通だった。
母が生きていたら、レジ袋を山のように集めたかもしれない。
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