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国家解体
2010年05月11日 18:09
末期症状か、それともこれは未だ序の口か。
民主党が目指す世界とは?
鳩は本当に無能者の振りをしているだけなのか?
以下の論文をご一読あれ。
(出展は以下。
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わたなべ りやうじらうのメイル・マガジン「頂門の一針」 1911号
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2010(平成22)年5月10日(月)
古森 義久氏のコラムより抜粋。以下引用)
鳩山氏の国家に対する認識の薄さについて拓殖大学の渡辺利夫学長がわかりやすい論文を書かれているので、以下に紹介します。
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国家といいたくないから市民社会といい、国民ともいいにくいので市民 というような感覚の指導者が日本には少なくない。
往時の自民党の大幹事長が“私は国民というより市民という表現を好む”といった趣旨のことをテレビで語っていたのを思い起こす。
鳩山由紀夫氏が首相になるしばらく前まで「地球市民」という言葉を多用していたと友人から聞かされた。“日本は日本人だけが住まうところではない”と書いた鳩山氏の文章を読んで強い違和感を覚えたことは私にもある。
≪国家や共同体の価値認めず≫
首相の言葉遣いがあまりに軽佻(けいちょう)浮薄、閣僚の発言もばらばら、一体、指導者が日本をどこに導いていこうとしているのかがまことに不鮮明だ、というのがマスコミによる現政権批判の常套(じょうとう)句である。
そうだろうか。
永住外国人への地方参政権付与や選択的夫婦別姓制度や人権侵害救済のための法案などがいずれ上程される可能性がある。
東アジア共同体の創成といった構想も打ち出されている。
これらを眺めるだけでも、民主党の政治家たちが胸中に秘めている思想の在処(ありか)にはある特定のベクトルがあって、彼らがめざす日本の将来像は決して不鮮明なものだとは私には思えない。
むしろ思想は鮮明なのではないか。
国家とか共同体といったものに価値を求めず、国家や共同体に拘束されない自由な「個」を善きものとみなす思想である。
主権国家という空間、国民国家が紡いできた歴史、つまりは空間的、歴史的な「境界」概念を希薄化させ、むしろ境界意識を無効化させることが「個」としての「市民」には欠かせないという規範である。
この規範が「ポストモダニズム(超近代)」なる思想である。思想としては曖昧(あいまい)で多義的に過ぎよう。
しかし、むしろ定義が曖昧で多様な意味と感覚を盛り込めるがゆえに社会の「雰囲気」を包容的に示し、しかもこの概念には、問わず語りに社会の向かうべき方向性までが暗示されている。
≪現実性欠いた東アジア共同体≫
特定の領域と領域内に住まう人々のうえに君臨する唯一の合法的な権力が国家であり、武力とナショナリズムをもって自国を防衛するという主権国家の時代が「モダン」である。
対照的に「ポストモダン」の時代においては、経済や立法や防衛などについては主権国家の意思決定にかえて国際的な枠組みや条約が強力となり、内政と外政の区別が曖昧化し、かかる状態を求むべき規範とする思想がポストモダニズムである。
確かにEU(欧州連合)においては単一市場が形成され、単一通貨ユーロと共通通商政策が導入され、これらを保障するEU法が国内法に優先する超国家的統合が実現されつつある。
安全保障面からみればEUは「不戦共同体」となったかの感がある。
人々はナショナリズムから遠く離れ、「個」としての市民的自由のありようのみが問われるべき関心となっている。
しかし、日本はEUの一員ではない。日本はナショナリズムと反日を国是とする「モダン」の国々を近在に擁する。
ナショナリズムと反日の海の中で、日本がひとりポストナショナリズムの涼しい顔で船を漕いでいるという奇妙な構図が東アジアである。
東アジアの地政学的状況は、欧米とは異なる。にもかかわらずポストモダニズムそれ自体が「善きもの」として日本人に受け入れられ、これが欧州はもとより東アジアにおいても妥当性をもつかのごとくに思考されてしまっている。
東アジア共同体は、共通通貨と恒久的安全保障枠組みの形成をめざすという。可能とは思われない。日中関係、日韓関係は半世紀近くをかけてなお氷解していない。
氷解していないどころか、中国は尖閣諸島の領有に並々ならぬ意欲をもち、韓国は竹島の不法支配をますます強固なものとしている。東シナ海の制海権はほどなく中国に握られよう。北朝鮮の核ミサイル保有宣言もそう遠い日のことではあるまい。
≪夫婦別姓で家族の解体へ≫
永住外国人の地方参政権は、地方自治体の反国家的行動の抑止を難しくさせる権利となるかもしれない。選択的夫婦別姓制度は血族・姻族・配偶関係を不透明なものとし、家族という共同体の基礎を毀損(きそん)してしまいかねない。
人権侵害救済法は、「反差別」の名のもとに黒々とした情念をたぎらせる反国家集団の排除を困難とし、時に権力の内部に彼らを招き入れてしまう危険な可能性がある。
現政権の政治家たちが抱く国家像は不鮮明のようでいて、多少とも遠目からこれを眺めれば、ポストモダニズムという危うい思想を現実化するためのいくつかの提言から成り立っていることがわかる。
日本の近現代史において稀なる国家解体の思想である。
現代に生きる日本人の多くが多かれ少なかれ抱えもつ「わが内なるポストモダニズム」を真摯(しんし)にみつめ、国家共同体としての日本に改めて覚醒(かくせい)しなければならないと思うのである。(渡辺利夫)
(引用終わり)
上で、
国家とか共同体といったものに価値を求めず、国家や共同体に拘束されない自由な「個」を善きものとみなす思想である。
の部分が特に重要と考えます。
これねえ、最終的には、この国に生まれ、かつ/若しくは正当な権利を持って生活している人のうち、国、家族、共同体、地方、伝統、文化、歴史、風土といったものに愛着を感じ、ずっと保っていきたいと考えている人がどれだけいるか、という問題に帰着すると思うんですよねえ。
小沢の腹黒さを見せ付けられた人の多数がそのまま支持を続けることはあり得ない。
昨夏の衆院選の段階ではその表面のオブラート (=庶民には嬉しいばら撒き行政) しか見えなかったが故にあれだけの得票をしたものと思います。
ならばこの7月、天下分け目の参院選 (因みにこの「天下分け目の」という表現、今回の選挙にまさにぴったりです) では、全国民にその黒い意図、即ち「日本国解体」が民主党の目指すところであるということをきちんと理解した上で投票していただきたい。
そのためにはメディアがきちんと、本来の仕事をすることが大切です。
果たして、メディアにその気概はあるか…
日本国万歳。
天皇陛下万歳。
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