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ビアン。34歳の「覚悟」

2025年12月04日 23:24

ビアン。34歳の「覚悟」

画像ビアンのKelly McGillis。左28歳当時。右は68歳。

34歳という今の私の年齢は、奔放だった若さの残り火と成熟の静けさが交差する節目、と言えるのかも知れません。
人生経験は蓄積し、セックスアピールもあと暫くは衰えることも無さそう(?)です。
11/30のデジログにも書きました通り、同時に、女性としての“有限性”が、かすかな影のように然し確実に、日常へ忍び込み始めています。

かつて私は、K子さんという「夫」と約五年の同居生活を営み、その別離の痛みを経て、20代後半には多くの可愛い女の子から求められる儘にビアンセックスに耽溺しました。
まさに「選び放題」「ヤリ放題」。
酷い時は、日替わりで複数の女の子セックスしていました
その時の「名残り」のお陰か、女の子を誘惑する吸引力は、未だ残ってはいると信じたいですし、BDSM の「女王様」として慕われる私の「裏の顔」がある内は、一定数の女の子を「奴隷」として惹きつける力を、"取り敢えず"は、持ち続けてはいると思います。

しかし──
BDSMに於ける"主従関係”は“恋愛関係”とは本質的に異なるものです。
女王様」に尽す「奴隷」と言う「役割」(ロール)に惹かれて近づく者はいても、「老い」「病」「孤独」を共に背負う覚悟をもった伴侶にはなり得ないのです。

ここに、レズビアン女性特有の厳然たる「現実」が横たわっている、私はそう感じるのです。
女性同士の関係には、私自身の経験で申し上げれば、私はK子さんを「夫」として命懸けで愛した(積りでした)けれど、結局、「家族」夫婦」にはなれませんでした。
然し、私はそれを社会や家、法制度の所為にはしたくありません。
結局、私の「愛し方」が「半端」だったのです。
「命懸け」と思っていただけで、愛し方が足りなかった、何よりも「なりふり構わず愛する」事が出来なかった、それだけです。

加齢とともに起こり得る病気、衰え、判断力の低下──これらを支えてくれる存在は、普通なら、恋人か家族でしょう。
でも、恋愛の構造上、ビアン同士は“自立した大人”として関係を築くため、私の様に、別れは珍しくないのです。
そして家族(実家)との距離がある場合、老後のケアは著しく不安定になりやすいのではないでしょうか?

若い頃はセックス欲望さえあれば、そしてそれが満たされているのなら、情欲の炎がすべてを覆い隠してくれるでしょう。
しかし‥‥40代、50代、60代へ進むにつれ、肉体は意志とは別の声を上げ始めるでしょう。

セックスアピールはゆっくりと衰え、肉体は以前ほど回復しなくなり、欲望を支えてきたエネルギーも次第に削がれていく筈です。
同時に、精神も静かに疲れを蓄え、感情の波は落ち着くとしても、次第に孤独の気配は濃くなると想像出来ます。

“10年後の自分”ーまだ私を自由で華やかだ、と「勘違い」してくれる女の子は居るかも。

“20年後の自分”ー老いの足音を恐れと戦きを以て確かに感じ始めるでしょう。

“30年後の自分”ー人生の黄昏の中で、ただ一人で病院のベッドに横たわっている可能性が高い‥‥(ブラームス交響曲第四番を聴けたらそれでいい‥‥かも)

これは将来に対する「悲観」ではありません。
ただ、レズビアンとして生きる「現実」を、私なりに、飾らずに見つめた「試み」です。

では、人生の後半に何が残るのでしょうか?
それは、老いを慰める幻想でも、他人が差し出す救済でもない、私はそう考えます。

残るのは、自分で選び取った生を、最後まで自分で引き受けるという姿勢だけなのです。
私は生まれながらのレズビアンです。
然し、レズビアンとして生きる事を「選んだ」のは、他ならぬ私なのです。
その事に『責任』はあっても、『権利』なんて、ありません。絶対に。
マイノリティの権利』だの『法制度を変えろ』だのと言った瞬間、私は私自身の人生を自ら否定する事になるからです。

若さは必ず失われ、肉体は確実に衰えます。
セックスの熱も、BDSMの鞭の勢いも、時間の流れには抗えません。

と言っても、それらが去った後にも、誇るべき何かが存在しない訳でも無い、私はそう思うのです。

あるのはただ、
「知的怠惰に陥らないこと」
「他責に逃げないこと」
「自分の選択の結末を、誰のせいにもせず引き受けること」
という、私自身の「人生哲学」のみでしょう。

それは安易な慰めの言葉ではないし、果たされ得ない救いでもありません。
ただ一つ、人生の終盤においても揺らぐことのないものがあるとすれば、繰り返しになりますが、"自分自身への責任”、これに尽きると思います。

私が34歳の現時点で申し上げる事が出来るのは、この一点に尽きます。
最後まで、自分の選んだ生き方に責任を持つ──
それ以外に、期待すべきものは‥‥
何もないのです。

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