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レズビアンである事の「矛盾」・・・

2025年11月26日 21:18

昨日も書きました通り、私は生来レズビアンであり、恋い慕う相手も、セックスの対象も、すべて女性です。
しかし同時に、私は胸のうちで長く抱えてきた「矛盾」を認めざるを得ません。
それは、私自身も、私が愛した女性たちも、そして未来に生まれてくるであろうレズビアン女の子たちも、本質的には「男性の力が無ければ存在し得ない」という厳然たる事実です。

此の事を一部のレズビアンの前で軽々に口にすると、残念ながら、誤解を招く場合があるのです。
「今更家父長制を求めるのか?」「レズビアニズムに対する否定なのか?」etc・・・。

私がレズビアンである理由は単純、「女の子とのセックスが好きだから」、それ以上でもそれ以下でもありません。
そこに「ISM」(主義)」もなければ、"Patriarchy"も無いのです。
処が「旗幟を鮮明にしろ」と、一つの「陣営の旗」を持たされそうになる。
そう言う事もあるのです。

しかし私の考えはそのいずれにも属しません。
私は男性を”ISM"で憎む気持ちなど微塵も持っていませんし、「旗幟を鮮明に」しなくとも女性同士の愛の価値が揺らぐとも思っていません。

ただ、静かに、正しく、この「矛盾」を見つめたいのです。

例えば、私が初めて強く恋をした相手――此の上なく気高くて、見かけは冷たくて、けれども誰より私に優しかったその女性・・・。
私は彼女の存在そのものに救われ、恋に落ち、人生の舵を切りました。
けれど、私がどれほど彼女を愛そうと、彼女がこの世に生まれてきた背景には、彼女の父親と母親出会いと、生殖行為という現実があります。
私の想いとは無関係のところで、男性の存在が不可欠だったという厳然たる事実・・・。

レズビアンである私は、恋愛セックスの領域において男性を必要としません。
けれど私たちの「存在そのもの」は、男性なくして成り立たない。ここにひとつの逆説が生まれるのです。

では、この「矛盾」をどう扱えばよいのでしょうか。(「ジンテーゼ」に到達し得るのでしょうか?)

大学の哲学科で此の問題を討論した時、同級の女の子(勿論レズビアン)は言いました。
社会的な父性と生物学的な父性は別問題よ」と。
また別の子は、「抑も私たちの性的指向と出生条件を同列に論じるべきではないのでは?」と。

もっともな意見です。
それでも、以来、この問いは、なぜか私の心に引っ掛かった儘なのです。
曖昧なままにすれば、上述しました通り、時として不要な対立を生み、誤解の火種にもなり得るのです。

私が「アドボカシー活動」に絶対的距離を置くのも、この矛盾に対する敏感さゆえかもしれません。

性的マイノリティーの権利向上」と言う言葉は一見「正義の御旗」でありながら、現実は誰か(自分の考えに賛成しない人々)を敵に回すどころか「差別」さえ平然と叫ぶ語り口は、私に言わせれば「社会の分断」を招き、其処から「暴力革命」への道に通じるものすら感じるのです。
抑も、その様な「分断・革命」は私の「女の子が好き」と言う気持ちからは最も離れた処にあると考えています。
また、「男性」「女性」という存在を一括りにしてしまう「フェミニスト」の論調(一般化理論)には、危険な「全体主義体制」的発想としか思えないのです。

私が愛した女性の父親もまた男性であり、彼がいなければ、私はあの人を愛する喜びすら知らなかったのです。

では、この「矛盾」をどのように受け止めればよいのでしょうか?。
私は「解決」しようとすること自体に「無理」があるのではないかと思っています。

抑も人間の存在自体、「矛盾」の上に成り立っています。
親を必要とするのに、親から離れようとするのも人間。
誰かに癒やされたいのに、心の奥を見せることが怖くなるのも人間。

同じように、「男性と関係する必要性の無い恋愛」を生きる私たちレズビアンが、「男性の存在がなければ誕生し得ない、存在し得ない」という事実・現実を抱えて生きるのもまた、人間の「矛盾」のひとつなのでしょう。

例を挙げれば、子を望むレズビアンカップルも存在します。
精子提供者への感謝をどう位置づけるか、子どもが成長した時にどのように説明するのか、それらはすでに多くの家庭で慎重に向き合われています。
そこには「男性否定・拒否」の入り込む余地などありません。
ただ、人としての「つながり」をどう丁寧に結ぶかという問題だけが残ります。

結局のところ、私が辿り着ける答えは、「矛盾矛盾のまま受け入れる」という「境地」に近いのかもしれません。
無理に整理し、解決しようとすれば、他者を否定する形になりますし、矛盾を無視すれば、心のどこかで引っ掛かり続ける筈です。

私は、私を愛してくれた女性たちも、その方々を生んでくれた父親や母親も、みな尊い存在だと思っています。そこに敵対関係など必要ありません。

もし男性の方が私の「ログ」や「ウラ」を読んでくださっているなら、どうか安心していただきたいのです。
私たちレズビアンは(少なくとも私は、そして私が愛した、愛している女の子たちは)、男性を否定したいがために存在しているのではありません。
むしろ、男性がいなければ私たち自身も存在し得なかったという、ごく当たり前の「事実」を静かに尊重しているのです。

「論理的矛盾」は消えません。しかし、此の「矛盾」を抱えたまま愛する女の子と共に生きることは、私にとって不幸ではないのです。
寧ろ、その「複雑さ」の中に、「人の営みの豊かさ」が宿るのだと私は信じているのです。

https://www.youtube.com/watch?v=8mHRBMfnetg

このデジログへのコメント

  • ベソ 2025年11月29日 08:35

    それを矛盾と捉え真剣に悩む貴女の誠実さが、その問題に対する既に回答である気がします。世の中を二元論で解釈しようとしても誰のためにもなりません。命短し恋せよ乙女…で良いのではないでしょうか。

  • 西野 優奈 2025年11月29日 11:33

    ありがとうございます。
    哲学専攻の癖が抜けず、理屈っぽいだけです。
    「命短し・・・」に就いては改めて書く積もりです。(年齢と女の「価値」)

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