- 名前
- 清英
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 住まいは都内江東区◯◯、長年連れ添った愛妻は4年前他界現在64才て独身、職業は書道家...
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無心帰大道
2025年07月27日 07:20
清英の本日の書作品は
無心帰大道
無心(むしん)にして
大道(だいどう)に
帰(き)す
「無心帰大道」は、「無心」の境地に至ることで「大道」、つまり真理や悟りの境地に到達するという意味の禅語です。「無心」とは、余計な考えや執着がなく、あるがままの自然な状態を指します。この状態になることで、人は真理に近づくことができるとされています。
詳細:
無心:
「無心」とは、心が空っぽで、何も考えていない状態ではありません。コトバンクによると、思慮分別がなく、あるがままの状態を指します。また、感情や意識の働きが抑制された状態、あるいは、あるがままの自然な状態を意味することもあります。禅においては、自我や欲望にとらわれず、あるがままを受け入れる状態を指します。
帰大道:
「大道」とは、真理や悟りの境地を意味します。「帰」は、そこへ帰る、到達するという意味です。つまり、「無心帰大道」は、無心になることで、真理や悟りに到達するという意味になります。
禅語としての意味:
この言葉は、禅の教えにおける重要な概念を表しています。余計な考えを捨て、あるがままの心で物事を見つめることで、真理を悟ることができるという教えです。








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