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九谷焼②

2024年03月15日 07:39

九谷焼②

続 今日の私の書作品は九谷焼
参加している書道グループの本日の課題です。
九谷焼の魅力と歴史
https://www.mangetsu.co.jp/history.html

九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。
廃窯後100年は、日本の陶器といえば伊万里焼でした。ところが、江戸後期に、瀬戸磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。
さらに、その若杉焼が成功したことで、かつて古九谷を生み出した大聖寺藩でも、古九谷再興の動きが強まりました。その中心人物が、大聖寺の豪商吉田屋伝右衛門だったのです。文政六年(1823)、九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を築き、翌年、九谷焼を焼き始めました。
明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼海外へ輸出されました。そのきっかけとなったのが明治6年(1873)のウィーン万博です。「ジャパンクタニ」として九谷焼の名が一気に広まりました。

作品は豪快かつ色調渋く独特の魅力があり、柿右衛門、色鍋島、仁清と並んで、日本の色絵陶磁の代表的なものとなっています。
現在では宮内庁より贈答品として使用され、また英国チャールズ皇太子御成婚祝としても献上され、外国の著名な方々にも広く愛用されるとともに、今では日本の美として大変親しまれています。
また、人間国宝 三代德田八十吉をはじめとして、吉田美統、仲田錦玉などが、モダン優美な色彩の九谷焼を生み出し、その伝統を発展させています。
九谷焼は、日用品から美術品まで幅広く種類があり、初めての方も慣れ親しまれた方も、その独特な美しさに、心癒されるひとときをお過ごしになられることでしょう。

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