- 名前
- 清英
- 性別
- ♂
- 年齢
- 63歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 都内江東区有明のマンションに一人寂しく暮らして居ます。長年連れ添った愛妻は4年前他界...
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加賀二俣和紙
2024年03月11日 07:32
本日の私の書作品は加賀二俣和紙
参加している書道グループ
のお題が加賀二俣和紙
加賀二俣和紙(ふたまたわし)とは、石川県金沢市二俣町で製造される和紙のこと。養老年間(717年 -724年)に僧の泰澄が医王山に寺坊を建立し、この時代に紙漉きが始められたのが起源といわれ1300年の歴史を持つ。文禄年間(1592年 - 1596年)金沢二俣が献上紙漉き場として、加賀藩の庇護を受けることになり発展した。主に美術工芸紙・箔打紙・加賀奉書として使用される。 参加サイト職人図鑑 https://shokunin-zukan.jp/2021_06_15_1090/ 一部抜粋 金沢市二俣町。市街地から東に離れた山間にある、この小さな集落は、献上紙漉き場として、加賀藩の庇護を受けて発展してきました。
この地で60年以上、手漉き和紙をつくり続けている孤高の職人がいます。
金沢市二俣町。齊藤さんの工房からの風景。
「いい紙は劣化しない。永久保存したいと言われれば、1000年でも持つ紙をつくってやる。そんな気概でやってきました。『できない?』と言われるのが嫌で。だから、今まで続いたんだろうね。ビルが建ったわけじゃないけど、おかげで、こうやって続けていられるの」と、しみじみ語ってくれたその人、齊藤博さんです。
1000年以上前の和紙に学び、1000年保存可能な和紙をつくる
加賀二俣和紙の手漉き和紙職人・齊藤博さん。
「1000年でも持つ紙をつくる」という言葉は、ただの意気込みではありません。実際に、齊藤さんの技術を頼って、さまざまな相談事が持ち込まれます。
ある寺院の仁王像の胎内に収める、写経用の紙を漉いたこともあります。次のご開帳である300年後まで持つような紙が必要だと依頼があったのです。
「実物を見たら、楮が何%で、雁皮が何%でという具合に配合や製法がわかるんですよね。奈良の東大寺図書館で、1300年前に漉かれた和紙と出合えたのは幸運でした。
それから、宮内庁書陵部で、700年前の紙を見る機会もいただきました。昔の資料を復元するには、本物の和紙が必要で、それをつくるために見せていただいたのです。
本物の和紙は、何百年経っても破れないし傷まないんですよ」
1000年以上前の和紙から技術を学び取り、1000年後も残る和紙をつくるという、途方もない話を、事も無げに語ります。しかし、本物の和紙が漉ける職人は、現代ではそう多くありません。
齊藤博さんが漉いた和紙。艶めかしく美しい。
「材料を合わせれば、誰でも紙はつくれます。色を付けて、模様を付けて…という作品は多いけれど、私たち〝職人〟がつくるのは素材としての和紙です。そもそも、和紙は工芸品ではなくて素材なんです」と、きっぱりと言い切る姿から、職人としての矜持が伝わります。
用途に合わせて、最高の素材を。〝売れるもの〟よりも品質を追求したい
紙漉きの道具。齊藤さんの和紙は、機械も化学薬品も一切使いません。
紙は素材。だからこそ、齊藤さんは、用途に合わせて最高の和紙を追求します。
東京にある襖紙の問屋さんも齊藤さんの和紙をよく使ってくれるそうで、国内外の貴賓をもてなす公邸や、都内の一流ホテルなどの壁や天井にも用いられています。
「1回張ったら、何十年も張り替える必要がありません。それが本物の成せる技なのです。私がつくる和紙は、すべて手漉きで、化学薬品も一切使わないから色あせたりしません」
また、名だたる書道家や日本画家も齊藤さんの和紙を愛用しているそうです。できあがった数種類の和紙に、作家に試し書きしてもらったりして、試行錯誤しながら品質を追求してきました。「例えば、楮と雁皮を半々に配合した〝半草(はんくさ)〟に仮名を書くと、線がとてもきれいに出るんですよ」と教えてくれました。
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