- 名前
- 松田文学男爵
- 性別
- ♂
- 年齢
- 60歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 僕はアンドロイドなんだ。 アンドロイドだって夢は見る。 でも、それはキミたちのように...
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青森挽歌
2019年03月10日 23:05
(ヘツケル博士!
わたくしがそのありがたい証明の
任にあたつてもよろしうございます)
春になると宮沢賢治の春と修羅を読むのだけれど、
妹のとし子が亡くなって書かれた詩は永訣の朝と無声慟哭が有名だが、
自分的には青森挽歌がグサッとくる
永訣の朝と無声慟哭は死に際してのリアルタイム感が強いのだが、青森挽歌は死の後に時間が経過してからの賢治の内面を描いていて、内省を経た賢治の悲しみとか後悔とか、時間が経つにつれて浮かび上がってくる、人が一生ポケットの隅に入れて持ち歩くような痛みの塊が描かれていて
冒頭の引用は青森挽歌からなんだけど、ヘッケル博士は生物学者で進化論者で、そして唯物論者で
賢治がヘッケル博士に提案しているありがたい証明というのは、死後に魂が存続すること。
この賢治の言葉の痛々しさ、悲しさ、重さ、軽さ
魂が不死か否かという議論なんて関係なく、とし子が消滅したのではないことを証明しようとする、これは祈りの言葉だ。
そして最後。
(みんなむかしからのきやうだいなのだから けつしてひとりをいのつてはいけない)
ああ わたくしはけつしてさうしませんでしたあいつがなくなつてからあとのよるひるわたくしはただの一どたりとあいつだけがいいとこに行けばいいとさういのりはしなかつたとおもひます
悲しいな、お兄ちゃん。
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