- 名前
- ぱすかる
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- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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まんこつきだすのもイイが、女は、こーユーことを知らなければならない。
2018年12月15日 17:38
【再掲】日本人慰安婦の話 美輪明宏(2013年6月のライブドアニュースより)
<人身売買が当たり前になっていた時代・・・貧しい農家の娘さんとか、貧しい家の子供たちが、自分が売られていけばお父さんもお母さんも弟たちも飢え死にしないで済むからといって、女衒(ぜげん)と言われる人買いの人に話をしてもらって遊郭に身を売られて、身を売っていったんですね>
<自分はお父さんお母さん、一家のために売られて行ったのに、「お前のやっていたことが世間様に知られたら、家の恥になる、出て行ってくれ」>
今日はですね、橋下さんが発言しちゃって問題になっております、従軍慰安婦問題。
あれは若い方はトンチンカンで、何の話だか全然お分かりにならないんじゃないかと思いますね。10代後半20代30代の方なども。
従軍慰安婦というのはもう60年以上前の、つまり半世紀以上前の第2次大戦の戦争中のお話でしょう。
これでいろんなメディアが昔を語るという、終戦記念日に近くなると、よく昔の焼け跡だとか兵隊さんの話とか色々なものを聞いて、爆撃でやられた話とか、そういった人たちを取材した話ができますでしょう。
でも従軍慰安婦の人たちというのは、直の話を聞けないんですよね。
そして聞けるのは大体、韓国と中国の従軍慰安婦の人ばかりが取り上げられますけれども、日本人の従軍慰安婦の人たちもいたんですよ。いっぱいいたんです。
でもそういった人たちは何故取り上げないのかといったら、その人たちが、もう酷い目に遭ったんですね。
まず、私が何故そんなことを知っているかと言いますと、終戦後にその人たちが満州、つまり今の中国から引き揚げてきたんですね。
引き揚げてきて私長崎でございましょう、長崎には丸山遊郭という有名な、女郎さん遊女たちがいて売春する、そういう街があったんですね。
坂本龍馬なども遊んでいたような有名な所ですね、日本の3大遊郭という。
これが、戦争中に遊興の場所というのはカフェやバーも遊郭もみんな閉店させられて全部が商売営業停止になったんですよ。
そしてその人たちは行き場が無くなったんですね。
その人たちはどういう人たちが遊女になっているかというと、主に、人身売買が当たり前になっていた時代でしたから。
貧しい農家の娘さんとか、貧しい家の子供たちが、自分が売られていけばお父さんもお母さんも弟たちも飢え死にしないで済むからといって、女衒(ぜげん)と言われる人買いの人に話をしてもらって遊郭に身を売られて、身を売っていったんですね。
一家の犠牲になっている貧しいお嬢さんたちが多かったんです。
閉鎖されて行き場が無くなった時に、軍の出先機関で大政翼賛会(たいせいよくさんかい)という組織があったんです。
そこの人に声をかけられて、満州に良い仕事があるぞ。カフェとか遊郭があるから、そっちへ行って稼げばいいということで、そして喜んでそちらへ行ってみたらなんと、話が違って従軍慰安婦だったというんですね。
従軍慰安婦というのは街ならその街にずっと居着いて遊郭にいて、そして男の人たちの相手をするというだけではなくて、従軍慰安婦の人たちは「従軍」と言いますでしょう、軍に従うと書いてあって第一線を付いて周るんですね。
そして筵(むしろ)みたいなものを敷いて、筵みたいなものを立てて、コーリャンという麦よりももっと不味い穀物で作った真っ黒いおにぎりですけれど、私も長崎で食べたことがありますけれど、食べられた物じゃないです。
それを枕元に置いて食べながら、表には兵隊たちが木札をもってズラリと並んで、それを一人ひとり相手をして。
そして鉄砲の練習をさせられて、敵が来たら身を守るためといって銃の練習をさせられて、敵が押し寄せてきますでしょう、馬賊(ばぞく)とか匪賊(ひぞく)とか。
そうすると兵隊と一緒に戦うんですって。
戦って流れ弾に当たって死んだら、今度は日本婦人がそういうことをしていたというと恥になるからといって、モンペやなにかを脱がされて支那(しな)服に着替えさせられて、そして放り出されるんですって。
そして埋めてももらえない、焼いてももらえない、野ざらし雨ざらし。山犬の食い荒らすままになっていて。
そして終戦後引き揚げてくるときに、まず軍人の将校たちと家族がトラックに乗って逃げて、自分たちは置いてきぼりになったんですって。
他の移民団、開拓団の人たちと一緒になって、命からがら引き揚げてきて村に帰ったら、村の恥さらしとか面汚しとか言われて。
そして家へ帰ったら、自分はお父さんお母さん、一家のために売られて行ったのに、
「お前のやっていたことが世間様に知られたら、家の恥になる、出て行ってくれ。」と。
もうそれはどこに恨みを持っていったらいいのか、それは悲憤慷慨(ひふんこうがい)ですね。
それを行き場所が無いから、自分が従軍慰安婦だったというのを隠しているんですよ。
だから日本人の従軍慰安婦は一人も出てきませんでしょう。そういう事情があるんですね。
そして女郎屋さんが再開して進駐軍の兵隊たち相手に遊郭が復活したんですよ。
日本人は出入り禁止で、進駐軍だけのセックスの処理として遊郭がまた再開して、そこで働いていたんですね、また戻ってきて。
そこでも内地の女郎さんには白い目で見られて、さんざん馬鹿にされて、ところが3人の人たちはバラバラに引き揚げてバラバラのところにいたのだけれども仲良くなって、それでいろんな思い出話をするんです。
それを私は脇でじっと聞いていて「はぁー、どんなに辛いことだろう。」と思ったんですね。
それで私はもうものすごく頭に来ちゃって、義憤(ぎふん)に駆られて「祖国と女たち」という歌を作って。
今度のコンサートでも歌いますけれど。
みんな政府や右翼の人たちが怖くてその歌を歌わないし言いもしませんけれど、やはりそれはその人たちの供養のためにも表に出してあげることが必要だと思います。
ですからその辺を橋下さんは何にも知らないで、それで軽々しくあんなことを言ったり、また沖縄の兵隊たちも風俗を利用してやってくださいと、あんなことを言うべきじゃないんですよ。
一遍であの人のことを大嫌いになりました。
ですから、もっと人間には尊厳があるということを、維新の会の人たちはもっと知るべきだと思います。
http://kajipon.com/kt/peace-i.html
●美輪明宏『祖国と女たち』(6分3秒)
北は青森から 南は沖縄
売られ買われて 今日も旅行く
違うお国訛りで 慰めあいながら
捕虜の女囚も 同じ仲間さ
荒れ果てた肌に やせこけた頬
今日も覚悟の最後の衣装
万歳 万歳
毎日百から二百 兵隊相手に
朝日が昇り 月が落ちるまで
いずれ死んでゆくことが 決まっている男
虚ろに空を 見つめる女
涙も渇れはて痛みもないさ
そこには 神も仏もない
万歳 万歳
誰の子かわからぬ 赤子残して
死んだ女やら 銃を片手に
愛する若い兵士と散った女やら
歌える女は 子守唄を唄う
あまりの怖さに狂った女
嫌な将校に斬られた女
万歳 万歳
男はなんていいんだろう羨ましいじゃないか
死ねば死んだで 名誉の戦死とやらで
立派な社に奉られるんだろ
私も男に生まれていたら
今ごろきっと勲章だらけ
万歳 万歳
戦に負けて帰れば 国の人たちに
勲章のかわりに 唾をかけられ
後ろ指さされて 陰口きかれて
祖国の為だと死んだ仲間の
幻だいて 今日も街に立つ
万歳 万歳
ニッポン 万歳
大日本帝国 万歳 万歳 万歳
http://youtu.be/a9QVn8ZmA4w
このデジログへのコメント
いや、これは切ない…
泣けてくる。
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