- 名前
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- 40代の2児のハハです。 ガラケーなので、スキ!がつけられません。ごめんなさい。 ...
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漆黒の闇vs筑豊のがばいおばちゃんがた
2017年10月12日 12:38
「炭坑美人-闇を灯す女たち-」という本を読みました。
表紙が、おばあちゃんの最高の笑顔で、思わず手に取ってしまいまして。
中身は、筑豊の炭坑で働いたおばちゃんたちの ききがたりでした。
50人以上の話があったと思います。
炭坑の仕事に就いた理由は 人それぞれ。歳をごまかして仕事を始めた人、ほかの炭坑から流れて来た人、いなくなったダンナの代わりに働かざるを得なかった人…。
地面の下で働く。
それも、とてもとても深い、漆黒の闇の中で。
まだ機械化される前だから、掘り出す場所まで下がるのははしご(のようなもの)、掘り出された石炭を地上に上げる仕掛けの場所まで運ぶのも 人力。
頼れる明かりは 頭に着けた 安全灯 だけ。
カンテラも使っていたそうですが、常に粉状の石炭が舞っている坑内では、それに引火して大事故になることもあったため、安全灯に切り替わったそうです。
ただでさえ空気の薄い地中。
そんなところで、火種ができようものなら、酸素を求め、炭素に飛び付き、坑内は暴走する火で一掃されてしまう。
落盤も 恐れられた事故でした。
坑内では、掘り出す人、運び出す人のほかに、坑道が崩れないように枠や柱を設置する専門の人もいたそうです。
それでも、落盤は起こった。
砂山ほど脆くはないにしろ、自然にできた場所を、下なり横なりに掘り進めていくのですから、地盤がもうアカーンという時期が あったのでしょうね。
車両の事故の話も ありました。
坑道は、植物の葉っぱのように、垂直なものと、緩い傾斜のついた平行なものでできているそうです。
垂直なところで、石炭を積んだ箱を滑車で上げますが、その途中でロープが切れると…。
平行な坑道で、掘り出した石炭を箱に入れ、地上まで上げるところまで押し下げて行くとき、箱が暴走したら…。
目の前で起こった、あるいは 自分が巻き込まれた事故の話は、描写が細かくて、その光景が浮かんでくるようでした。
明治から大正にかけて生まれたおばちゃんがた。
慣れ親しんだ炭坑住宅を離れることはなく、たまたま縁あって筆者と知り合い、炭坑の話を聞かせてくれたのだといいます。
筆者は、ほとんどのおばちゃんの写真を撮っていました。
そのどれもが、カラッとした 素敵な笑顔で。
汗と炭で真っ黒になって、ダンナやら子どもやらお金やら、色々タイヘンだったこともなかったみたいに。
きっと、遺影にしたトコもあるんだろうなあ…と思わせるほど、素敵な写真ばかりでした。
たくさんの笑顔を目にするうちに、内容の重たさも少しずつ削れ、温かい気持ちで本を閉じることができました。
おらも、こういう ばあちゃんに なりたい…。
このデジログへのコメント
筑豊、懐かしいわ~
仕事で数回、訪れました!
西側の三井三池にも行きましたよ
当時の本館が記念館になっていましたが、今は、、どうかな
今もボタ山が残っていましたよ、筑豊
こんばんわ~
ちゃんと「仕事」をしてきた
「手」だったり「顔」だったりって
何よりも多くを語りますよね
それが命の危険を伴なったりすると
なおさら…
ある意味
「悟りの境地」なのかな?
> なおぴー、こんばんは(^^)/
炭坑王と言われ、美人の伯爵令嬢を後妻にした人の屋敷もあるんですっけね。
見たいなあ。行きたいなあ…。
> JJさん こんばんは(^^)/
そういえば、「あとは死ぬだけたい!」って言ってた人もいました…。
振り返れば、全ては思い出。人生やりきった感満載の、ばあちゃんたちだったんですねぇ。
多くが人力だった時代を思うと
機械化することの良さを実感します。
今人工知能が躍進して重機も無人化してるそうですが、
物語や生き様はなくなるけれど
命を落とすこともなくなるのでしょう。
> 隆文さん コメありがとうございました(^^)/
便利になったことで、効率化ばかりに目が行き、ゆとりが少ない世の中になってしまった感もありますよね(^_^;)
筑豊はじめ九州には炭鉱で栄えた街が、あちこちにある。
黒ダイヤと呼ばれるくらい富をもたらしたけれど
悲惨な事故がつきものだったもの。
軍艦島に、がばい行きたか~
> ジョージマさん 返信がとても遅くなり、すみませんでした(__)
岩手にも、山のてっぺん近くに広がる社宅が、今でも残っています。
名前はよく出ますが、地元民はあまり行かない…(^_^;)
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