- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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三笠宮殿下、日本軍の戦争犯罪の生き証人
2016年10月28日 09:41
三笠宮崇仁氏は
1943年1月に、支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任し、1年間在勤した。
最近また
南京大虐殺について、閣僚の発言が問題になりましたが、
同じような問題が
何回も繰り返し問題になるのはまことに困ったことだと思います。
三笠宮殿下はこの問題についてどのように受け止められておられますか。
三笠宮
最近の新聞などで議論されているのを見ますと、
なんだか人数のことが問題になっているような気がします。
辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すこと と書いてあります。
つまり、人数は関係ありません。
私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から
「新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。
それで根性ができる」という話を聞いた時でした。
それ以来、
陸軍士官学校で受けた教育とは一体何だったのかという懐疑に駆られました。
また、南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の
実写映画を見ました。
それには、広い野原に中国人の捕虜が、
たぶん杭にくくりつけられており、
また、 そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。
ほんとうに目を覆いたくなる場面でした。
これごそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。
しかし、日本軍が昔からこんなだったのではありません。
北京駐屯の岡村寧次大将(陸士十六期・東京出身)などは、
その前から軍紀、軍律の乱れを心配され、
四悪(強姦、略奪、放火、殺人)厳禁ということを言われていました。
私も北京に行って、直接聞いたことがあります。
日清、日露戦争の際には、小隊長まで「国際法」の冊子をポケットに入れていたと聞きました。
戦後ロシア人の捕虜が日本内地に収容されていましたし、
第一 次大戦の時にはドイツ人の捕虜がたくさん来ていました。
彼らは国際法に基づいて保護されていましたから、
皆親日になったのです。彼らの中には、解放後も日 本に残って商売を始めた人達さえいました。
神戸には今でも流行っているパン屋さんやお菓子屋さんがありますね。(「ゆう」注 「ユーハイム」のことだと思 われます)
(「THIS IS読売」1994年8月号 P54~P56)
「罪もない中国の人民にたいして……」
100歳を迎えられた三笠宮殿下の“斬新なお言葉”集〈週刊新潮〉(デイリー新潮) -Yahoo!ニュース
デイリー新潮12月7日(月)7時11分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151207-00010002-shincho-soci
“「聖戦」というものの実体”
三笠宮さまは1943年1月から1年間、お印にちなんだコードネーム
“若杉参謀”として南京に赴任され、
戦後は東大でオリエント史を学ばれた。
56年には『帝王と墓と民衆』(光文社)を上梓。
ご自身の戦時中の感慨について、同書に付された『わが思い出の記』の中で、
〈わたくしの信念が根底から揺りうごかされたのは、じつにこの一年間であった。
いわば「聖戦」というものの実体に驚きはてたのである。
罪もない中国の人民 にたいして犯したいまわしい暴虐の数かずは、
いまさらここにあげるまでもない。
かかる事変当初の一部の将兵の残虐行為は、
中国人の対日敵愾心をいやがうえ にもあおりたて、
およそ聖戦とはおもいもつかない結果を招いてしまった〉
〈この失敗は軍および日本政府首脳者に真剣な反省をうながし、
新たに対華新政策なるものが決定され、
わたくしが南京に在住していた一年間は、司令官以下この新方針の徹底に最大の努力をした〉
と、現地で見聞した日本軍の行状をひたすら嘆かれ、
〈新政策が発表されるや、軍司令官はただちに「四悪」を禁止するという厳重な命令をくだした。
四悪というのは略奪、暴行、放火、強姦のことである。
(中 略)
ある第一線の大隊長のいうことがふるっていた。
今までは敵のいた家は焼きはらって進んだので、自分の大隊の第一線がどの辺を前進しているかすぐ分かっ た。ところが
こんど放火を禁ぜられてみると、
第一線がどこにいるかさっぱり分からない、と。まったく笑えないナンセンスであった〉
〈聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであったこと、
そして内実が正義の戦いでなかったからこそ、
いっそう表面的には聖戦を強調せざるを得なかったのではないか〉
当時から、聖戦への信念を完全に失っていたと明かされているのだ。
産経新聞が毎週日曜日の連載「子供たちに伝えたい日本人の近現代史」連載48回(2014年3月9日付)より
「戦時国際法のハーグ陸戦法規」という国際ルールにわざわざ言及した上で、「城内外の局地戦で日本軍に捕まり、正当な裁判も経ずに殺された捕虜もいたという」と、記述している。
捕虜やスパイの殺害(処刑)には、
裁判での判決が必須条件であると、国際法では定められている。
その国際ルール無視で捕虜を殺害したと逆説的に証明している。
この連載を単独で担当しているのは、皿木喜久(さらきよしひさ)特別記者兼編集委員。
彼は社外の筆者でないどころか、論説委員長も経験済みの記者であり、この連載記事を「産経の意見でない」とは言えまい。
秦郁彦氏によるもの
南京事件は宣戦布告がなく、正規の戦争ではないので、「ハーグ陸戦法規」は適用されないという異論もあるが、
当時の日本陸軍刑法にも 同様の規定があった、との指摘。
産経94年7月1日付、論説委員室によるインタビュー記事より
「実は南京虐殺で一番多いのは、この便衣狩りなんです。
便衣は国際法の保護を受けられず、処刑されてもしかたがないのですが、
その前に裁判をしなければいけません。
それを省略したものですから、不法殺害といわざるをえない」と明言している。
ヒロヒト氏は加害について言及していない。
それは現地に行っていないから。
崇仁氏は、現地に行って、間近で加害を見ており、後付けで加害に触れているわけではない。
しかもあえて元首一家が、具体的加害に触れる必要性がない。
「後付け」なら明仁氏もできるが、リベラルでネトウヨを嫌う彼でも具体的事実を指摘しての謝罪ははないことからも、違いがわかる。
陸軍省人事局長の阿南少将(のち大将。終戦時の陸軍大臣)南京視察メモ。
「中島師団、婦人方面(注:強姦の事)、
殺人、不軍紀行為は、
国民的道義心の廃退、
戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」
岡村寧次大将のコメント
「宮崎周一参謀、
中支派遣軍特務部長原田少将、
抗州特務機関長萩原中佐等から
聴取したところを総合すれば次の通りであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
南京大虐殺事件の中心人物・中島今朝吾第十六師団長の日記:
「佐々木部隊だけにて処理せしもの
約一万五千、
太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの
約一三○○、、、」
「大体捕虜はせぬ方針なれば
片端からこれを片付ける事とし」(日本語が分かれば戦争で敵を「処理」する、
「片付ける」とは何の事か分かるはず)
第十六師団 歩兵第30旅団長・佐々木到一少将の日記:
「俘虜続々投降し来たり数千に達す。
激昂せる兵は上官の制止を聞かばこそ片はしより殺戮する」
南京攻略軍総司令官・松井石根大将の談話。
「南京事件はお恥しい限りです、
私は日露戦争の時、大尉として従軍したが
その当時の師団長と今度の師団長を比べると問題にならんほど悪いですね、
武士道と か人道とかいう点では、当時とは全く変っておった、
私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った、
ところがこのあとで皆が笑った。
甚だしいのは、ある師団 長の如きは「当り前ですよ」とさえ言った」
第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵の従軍日記:
「我が柳川兵団は
①民家を発見したら全部焼却する事。
②老若男女を問わずシナ人を見たら殺せ、という命令を受けた」
第104師団機関銃部隊の田所耕三一等兵の話。
「捕まえた連中を十人くらいずつ束にして井桁に積み上げて油をかけて燃やしちゃった。
『俵縛り』と言ったな。豚を殺すのと同じ気持ちだった。
機銃掃射で殺 すのもやった、
しかし女が一番の被害者だったな。
年寄りから何から全部やっちまった。
トラックで部落へ乗りつけ、女どもを略奪して兵隊に分ける。
十五人か 二十人に女ひとり」
「見せしめの為に捕虜を傷つける事もやった。
耳を削ぎとる。鼻をけずる。
目の中へ帯剣を横にしてつっこむ、、、
こんな事でもやらないと ほかに楽しみがない」
日本陸軍大十軍嘱託カメラマン河野公輝の話
(南京攻略に先立つ上海近辺での戦闘で)
「銃剣で刺すなんて生易しいものではなく、
棍棒でぶっ殺す。
男も女も区別はなかった。
バクッと叩くと血がぶあーっと噴き出してね、、、
蘇州の女というのがまたきれいでね。
兵隊は手当たり次第に強姦して、やったあとは殺していたな」
歩兵第66連隊第一大隊戦闘詳報(日本軍の正式報告書)
「旅団命令により捕虜は全部殺すべし、、、」
山田支隊第七中隊・大寺隆上等兵の日記:
「昨夜までに殺した捕虜は約二万、
揚子江岸二ヶ所に山の様に重なっているそうだ。
午後七時半、清掃作業に行く。
揚子江岸の現場に行き、
折り重なる死骸に驚く。午後二時までかかり作業を終わる」
このデジログへのコメント
戦争はホントにひどいですね。
一思いに殺されるならともかく、女は強姦してから、しかも残虐極まりない拷問してから、殺す。
なんて恐ろしい…
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