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南京虐殺2

2016年01月10日 12:09

南京大虐殺の「勇士木村守江」は福島原発導入の張本人だった!~レイバーネットTVで明らかに


 12月9日レイバーネットTVで小野賢二さんが明らかにしたことは衝撃的だった。元福島県知事木村守江氏は、南京大虐殺を行った「歩兵65連隊福島会津若松)」の軍医で「聖戦勇士」と呼ばれていた。小野さんは1938年1月の「磐城時報」を証拠として示した(写真上)。この新聞木村氏は南京現地レポートを「軍事郵便」で寄せている。内容はこうだ。「捕虜二万余の始末に困った」「捕虜をどうしたかと言うことは軍司令官の令に由った丈で此処には書くことが出来ぬから御想像にまかせることにする」。*木村守江記事(pdf



 *南京での木村守江(軍刀を持っている)
 木村氏は戦後自民党国会議員を経て、保守王国福島のトップになり「木村王国・木村天皇」と呼ばれ権勢をふるった。選挙区双葉郡である。そして福島原発導入のキッカケをつくった張本人だった。県の担当官の調査で、地盤などの理由で原発立地は不適当との結論が出ていたのに、福島県東電は強引に推進したという。


 木村氏は1976年に「県政汚職」で逮捕され有罪が確定している。かれは3.11を知ることなく亡くなったが、中国人捕虜虐殺に関わり、福島に危険な原発を誘致した。最後は逮捕されたが、きたない権力者が撒いた「惨禍」は大変なものだった。

 *写真=「陣中日記」には生々しい記述
 番組では、小野さんの調査について話を聞いた。民間の労働者でもあった小野さんは20年以上かけて、約200人の65連隊兵士に会い、聞き取りを行った。証言ビデオもたくさん残っている。番組では4分ほどのビデオが紹介されたが、揚子江沿岸に山のような死体が積まれた話は強烈だった。そして「命令でやったまで」と兵士はたんたんと語っていた。小野さんは、「この65連隊だけで17000人~18000人の捕虜が虐殺された」と明確に数字を述べた。しかし「全体の数は?」の質問には、「俺は調べていないことはいえない」と慎重な答えだった。実証にこだわる小野さんらしい姿勢だった。


 また番組では、11月に放送されたフジBS「南京事件討論番組」の映像も紹介された。ここでは小野さんが調べた「兵士の日記」の一節「五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺す、其の后銃剣にて思ふ存分に突刺す」が引用された。これについてコメントを求められた「虐殺否定論者」の藤岡信勝氏は、「日記は事実だろうが、一部分だけ取りあげて虐殺というのは早計、軽々しく即断できない」と答えていたが、うろたえている様子が伝わってきた。加害兵士の書いた日記は重い。丹念に調べ上げた事実の前に、「南京大虐殺はなかった」などという嘘はすぐにバレてしまう。
 小野さんによれば、南京攻略戦に参加した部隊は北は仙台、南は鹿児島まであり、部隊一覧は秦郁彦南京事件』増補版(中公新書)の付録に詳しい。兵士は亡くなっていても「陣中日記」などの掘り起こしは可能である。今後こうしたことを調べていく責任が私たちにはあるのだろう。またNHKが「南京大虐殺」を取りあげない問題も指摘された。この問題でのジャーナリズムの責任は重い。
 番組後の二次会は20人近くが参加し、盛り上がった。次世代に残していくためにも、小野賢二さんが掘りおこした史料の保存・展示などの必要性が語られた。

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