- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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日本人の病理、イジメ
2015年03月23日 11:19
鈴木敏明著「逆境に生きた日本人」(展転社)は、日民族の資質を、次のようにまとめている。
<日本人は1.権威、権力に極端に弱い。2.変わり身が実に早い。3.裏切り者や変節者が多く出る。4.団結することができない。5.日本人は日本を愛せない>
<権力者や組織という背景を失うと、多くの日本人はいかに弱い人間になってしまうのか、そして次の権力者に身を摺り寄せて迎合していく、これが日本民族の姿なのです>
こうまで言われると、「冗談じゃない、ちょっと待ってくれ」と言いたくなるだろう。
だが、本書第4章で描写されたソ連捕虜収容所内の日本兵の姿を見ると、うーんとうならざるを得ない。本書の白眉とも言うべきシベリア強制労働収容所(ラーゲリ)の体験記録の分析は、日本民族の醜悪な資質をいやというほど抉り出している。
ラーゲリ内での日本人の苦難がソ連側の非道に由来しているのは確かだ。が、実はそれ以上の悲劇は「同じ日本人が日本人を苦しめた」ことにある。
抑留者の中からソ連の共産主義を賛美し、勉強する「民主運動」の活動家、アクチーブ(積極分子)が多数生まれた。活動家、アクチーブになれば、過酷な労働から解放され、食事の分け前も多くなるからだ。
だが、それだけにとどまらなかった。「民主運動」に非協力、消極的な日本兵を「つるし上げた」。文字通りの弾圧である。民主運動に同調しない者を人民裁判にかけた。「被告」にされた日本兵は「反動」として何時間も壇の土に立たされ、土下座して謝罪させられる。「反動」は毎日過酷な労働を強いられ、土運びには他の者の2倍も多く積んで、休憩時間にも「反動を休ませるな」と腰を下ろすことも禁じられる。寒さ、飢餓、重労働の三重苦。情け容赦のない攻撃にほとんどの日本人が無気力、従順に命令に従うようになる。
ソ連当局は収容所の隅々にスパイをはびこらせ、私語にさえ聞き耳を立てる。だれがスパイかわからず、親友さえスパイになるので、だれも信用できない。民主運動に非協力な友を擁護するのはもとより、その昨日までの親友を群集の中で面罵しなければ「反動」とされるため、断腸の思いで友を裏切ることもしばしばだった。
たとえば、「ソ連製の機械や機具が不良品だ」と話しただけで、帝国主義の礼賛者として吊るし上げられ、残飯をあてがわれ、食器をひっくり返され、そこへつばを吐きかけられる。苦痛と屈辱に耐えかねて建物の四階から投身自殺した者も出た。
あまりの暴力や吊し上げにソ連当局が、食事中のいやがらせなどを禁止し、衰弱者や病人の就業を禁じたほどだ。ところが、実績を上げてソ連当局に媚を売ろうとする日本人のアクテーブたちは、そんな衰弱者や病人さえ重労働に引っ張り出したという。驚くなかれ、本書は「ソ連抑留中に出た死亡者の死亡原因の最大のものは日本人による虐待だった」という史料を紹介している。
どうです。同じ日本人として何とも情けない、屈辱的な思いがしませんか。もちろん、背景にはソ連当局の巧妙なコントロール術がある。まず収容当初、旧日本軍の階級制度を残したままにしておき、将校の食事や労働時間を優遇するといった特権を与えておく。
その上で、一般兵の捕虜に対し壁新聞などで「彼らに搾取されている」「なぜ平等ではないのか」といった宣伝をする。プロパガンダで煽り立てられた兵隊の中からこれと思うものに共産主義を勉強させる一方、食事や労働時間で優遇する。すると、ソ連に媚を売る人間が多数生まれる。彼らを日本人捕虜の支配者にし、道路などソ連の望む建設作業が円滑に進むように仕向けるという算段だ。また、帰国した捕虜を親ソ派、日本の共産革命の担い手にしようとも考えた。
これが非常にうまくいった。著書によると、ロシアで出されていた日本新聞の編集長、イワン・コワレンコ中佐は日本人について次のように語っている。
<集団主義で勤勉な反面、権力に弱い。それが日本人の民族的特性だ。何か命令されて言い争うことがまずない。私は日本人から「はい、そうですか」の返事以外、聞いたことがない。そんな特性が収容所の管理や捕虜の政治教育に大変役立ったよ>
コワレンコ中佐の日本人を嘲笑、軽蔑した表情が見えるようではないか。
もちろん過酷な状況の中ではやむをえなかったと、捕虜たちへの同情は禁じえない。だが、同じ捕虜でもドイツ兵などは違っていたと本書は記している。
<(敵国の作業など本気でできないと思って)ノロノロと働いているドイツ人捕虜たちは、日本人捕虜の勤勉さに驚きというよりは嘲笑をなげかけた>
<メーデーの日にソ連当局と民主グループの命令で赤旗を先頭に祝賀行事をやっていたとき、それを見物していた外国人捕虜の中から突如一人の若者が飛び出し、先頭の旗手から赤旗を奪い取ってこれを地上に投げ捨て、「日本の国旗は赤旗か」と大声で叫んで、その旗をふみにじったという手記もある>
ドイツ兵捕虜は日本人以上にシベリアの地で死亡したと言われるから、ソ連の管理に従わないドイツ兵が過酷な運命をたどったことは容易に想像される。
ドイツ人などに比べ日本人は極端に権力に弱く、新しい権力(ソ連当局や終戦後のGHQなど)にすぐなびき、そこへの忠誠心を競い、生き延びるためには仲間を裏切る。そう著者の鈴木氏は結論付ける。
その典型が「スターリンへの感謝状」だ。日本帰国のための条件づくりなら、紙切れ1、2枚の署名文書でもいいのに、数十メートルの奉書紙に、1万6千語の感謝文を記し、きれいに表装し、美しい巻物として桐の箱におさめ、「感謝のアルバム」という画集まで添えたというのだ。収容所生活がすばらしかったことを絵で説明し、大元帥への感謝とソ連に対する忠誠を誓う内容と、6万3千人から成る署名アルバム――。
「いくら無事に、早く帰国したかいからと言って、ここまで自虐的になる必要があるのか。誇りを捨てて、さらにしなくてもいい同胞への迫害を重ね、加虐の快楽に浸った捕虜囚人たち。世界的にも恥ずべき醜態だと、鈴木氏は嘆く。
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