- 名前
- ぶだい
- 性別
- ♂
- 年齢
- 55歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 無機的な、 からっぽな、 ニュートラルな、 中間色の、 富裕な、 抜け目がない、 或...
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米朝逝く
2015年03月20日 22:07
ついに来たか
これが正直な感想
大往生だと思う、米團治の言うとおり
本当に聴けたのに聴きに行かなかった自分が悔しい
桂米朝
上方落語の中興の祖として歴史に名を刻む
戦中、衰退を唯々見守るしかなかった上方落語において
職業落語家は存在しなかった
初代の松鶴や春團治はいずれも仕事の合間を見つけて落語を語っていた
先代の米團治も最初は落語家ではなく代書屋を営んでいた
故に彼は後にその経験を元に「代書屋」という噺を作る
米朝も最初は落語家を志していた訳ではなかった
たまたま師事したのが「正岡容」であり彼に連れられ戦後の東京の江戸落語の盛況ぶりを見たのが一つの切っ掛けだったかもしれない
寄席が有り
名人である志ん生や文楽の芸を見れば落語家を志してもおかしくはない
米朝師がなした仕事は今あるほぼ全ての上方落語を復活させたこと
戦後の上方落語の四天王と言われた
「松鶴」「春団治」「米團治」「文枝」(米團治亡き後は米朝が入る)
この名人上手達の何とか残してきたものを更に整理し、また、文書として埋もれていたものを
現実に演じるものにまで作り上げた功績は素晴らしい
上方落語における不幸は漫才にあった
「いろもの」という言葉がある
江戸落語において寄席に墨書されるのは落語家だけでそれ以外は朱にて書かれていた所以である
東京では芸界において「師匠」は落語家だけで有り講釈師や漫才、手品師などは「さん」であった
売れてやっと「先生」
上方にはそこまでの演芸における厳密な区別がなかったのであろう
米朝一門会は今でも東京でもやっている
観られたのに観ていないから悔しい
・・・
ご冥福をお祈り申し上げます
このデジログへのコメント
笑点はワンパターンなのが良い。水戸黄門もw 落語も同じ話なのに人によって違う。凄いよなぁ。南無
> ネコマルver2さん
落語の面白さはそこなんですよ
演者によって噺の違いがでる、聞き比べが楽しい
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