- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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本能寺
2014年07月15日 09:39
ギャハハハ、
NHKで本能寺のコトやってるな、ありゃ、ぜ~んぶ、ウソだ。
光秀の郎党が、トーじの本能寺襲撃のことが、後に、幕府が成立した後、語ってる。
トーじは、太閤が恐ろしくて、誰も言い出さなかった。
秀吉は、信長公記の太田牛一に命じて、改竄させた。
信長公記は本能寺前までは正しい、以後は間違いだ。
今までの、本能寺のアノ火炎を上げるような、派手な襲撃は、なかった。
光秀の郎党が語るには、
まづ、誰を討つのかはっきりしてなかった、めいめい勝手に、三河殿と思ってた。
襲撃があまりにも深閑として、まったく闘争の現場のヨーでなかった。
一人、二人くらいは、殺したかもしれないが、大勢での戦争とか闘争ではなかった。
これって、
信長を殺したのは事実だが、本能寺襲撃は事後処理、だったことになる。
早い話、信長は暗殺された。
天下様が暗殺で具合が悪いから、事件にしなくてはならなかった、
それが本能寺だ。
今でも謎になってるのが、本能寺に、信長の首がナイ、ことだ。
秀吉は信長の葬儀を、人形を入れて遺骨なしでやった。
ナイのはあたりまえだ、
本能寺の襲撃のときは、も、信長は、この世になかった。
誰が手を下したのか、もちろん、光秀だ。
いつ?
光秀は6月2未明に襲撃したことになってる。
その前日、公家朝廷の摂政関白左右大臣を招いて茶会をやってる。
いないのは帝だけ、ギャハハハ
コレを仕組んだのが光秀だ、
信長をおびき出すために。
茶会が終わって、光秀がユー、
上様、帝が内々に、お言葉があります。
信長はわずかな供回りをつけて、光秀と一緒に同行した。
光秀は、いってみれば、信長の親衛隊長官である。
徳川で言えば、柳生宗矩の公儀隠密に当たる。
光秀が敬語にあるから、信長一孝は安心しきってる。
これ以上の警護はナイからだ。
で、同行途上、信長と供回りを、ぜ~んぶ、暗殺した。
そしてすぐさま、光秀は秀吉に密使で連絡した。
このあたりは、光秀の密使が間違って秀吉陣営に入ったことになってるが、
それはチガウ、
光秀は秀吉に信長暗殺を一番先に、知らせたのだ、ギャハハハ。
おまえ、ドーオモー?
信長は懸案の本願寺を屈服させてから、以後、神になった。
神を強制した。
武田を滅ぼしても、神は仕上がった。
毛利などたかがしれてる。
あとは、日本国の土台だけが残ってるだけだ。
日本国はとーじ、古代と中世で成り立っていた。
中世の象徴が、室町幕府と本願寺の宗教勢力、
古代の象徴が、朝廷。
前二つは片付けた、残るはひとつだけ、ギャハハハ。
そして、信長家臣団に恐るべきコトが起きた、
佐久間信盛り父子を手始めに、次々と因縁つけて古来の宿老を粛正した。
重心、家臣団は疑心案儀にならざるを得ない。
筆頭は、秀吉だ。
勝家と悶着を起こして、信長の軍律違背を犯した。
軍律違背を許すよーな甘い信長でない。
利発な秀吉は、今は許されても、いつか、このことを持ち出されて、
必ず、粛正される。
こーなると、秀吉も命がけである。
家康も同じである。
信長は家康の嫡男を信康を殺した、
この機会に、家康を始末しておかなければならない。
で、武田討ちの功労として武田領を与えた、
アノ渋ちん信長が、思い切ったことをしたモノだ、家康は怪訝。
武田討ちで家康はたいしたことをしてない、信忠の後方にいただけだ。
コトの行きがかり上、
安土のお礼言上に参らないわけにいかない。
信長の罠にハマった。
信長の親衛隊長官、光秀に命じた。
家康を毒殺せよ。
光秀は腰をぬかした。
光秀ならしくじることはあるまい。
で、光秀は腐った食物を出した。
信長は怒髪天をついた。
光秀を足蹴り、頭をフルぼっこ、ギャハハハ
これで、もっともらしく、光秀怨恨が流説になった。
秀吉が軍律違反してイノチが危なかったとき、
もっとも取りなしたのが、光秀だ。
いわば、光秀は、秀吉家康のイノチの恩人だ。ギャハハハ。
おまえ、ドーオモー?
本能寺の後、家康がやっと虎口を逃れたヨーになってるが、
ソーでもしないとつじつまが合わないだろ。
虎口どころか、ゆーゆーと遊山気分で、浜松に帰ったのだ。
それが証拠に、光秀の遺臣を庇護してるだろ、
アノ光秀の最重心、斉藤利三のムスメお福、ありゃ、春日局だ。
秀吉が死んでから、家康の豊臣家の嫌がらせは、尋常でナイ。
大阪城滅亡まで20年近く、延々と続く。
もちろん、天下取りのキモチもあったろうが、コトはソー単純じゃない。
家康は光秀に恩を感じたが、秀吉は裏切った、
とユーより、光秀を天下取りのダシにした。
アノ太閤の大馬返しを見ればわかる。
秀吉は信長が暗殺されることを事前に知っていた。
知らなくても、いつか、必ず、起きることはわかってた。
だから、準備した。
それがアノ有名な中国大返しだ。
備中高松から200kmを10日間で、2万の大軍勢を移動させた。
旧陸軍がコレを計算したらしいが、通常では不可能とでた。
コレを解決したのが、2っまんにんをマラソンさせれば解決する、ギャハハハ。
武具甲冑鉄砲刀ヤリを、とっぱらいばイイ
沿道にたいまつ炊き出しを、用意させておく。
で、姫路城にまえもって、その武具甲冑を用意させておく。
ドーだ、
コンナ神業をできるのは、元姫路城主しかいない、ギャハハハ
秀吉の2万の軍団は一斉に、マラソンランナーになった。
山崎で援軍かと思った光秀は、秀吉の襲いかかってくる軍団を見て、腰をぬかした。
歴史が変わった瞬間である。
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後は秀吉の光秀への裏切りですか
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