- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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真善美
2013年11月04日 12:31
古代ギリシア人は、”人間”を追求した変わった民族だ。
追求した結論は、真なるモノ、善なるモノ、美なるモノを
求めるのが”人間”、になった。
古代中国人は、人間を、徳をもったモノ、
人間の徳として、孔子は仁義礼智信を発見した。
ちなみに、古代中国では匹夫は人間でない。
匹夫?
ギャハハハ、おまえのことだ。
徳は道徳ともゆー、
この道徳は戦前の大日本帝国によって、ドートクとゆー政治的な胡散臭い偽善に変容されてしまった。
孔子の徳とは似ても似使わない。
大日本帝国の教育勅語はその最たるモノ、ダロ。
ありゃ、偽善の見本だ。
徳なんぞ、政治権力が口出しするモンじゃない、
政治権力が容喙すると、たちどころに偽善に変質してしまう、
これが徳の本質だ。
古代中国人はヒトの倫理に価値をおいた、
古代ギリシア人は、真善美とゆー普遍に価値をおいた。
中国の影響下にあったニホンジンは、トーゼン、孔子の倫理を尊ぶ。
古代ギリシアの伝統を受け継ぐことで自己のアイデンテイテイをヨーロッパは獲得したから、
トーゼン、真善美の価値観にある。
真なるモノは科学の追求に、
善なるモノは政治の追求に、
美なるモノは芸術の追究に、
人間とは、古代ギリシアでは肉体労働からフリーになったモノをいっている、
肉体労働は奴隷が役割だ。
人間とは、真善美を追求するモノが、人間、である。
残念ながら、日本にも、明治になってヨーロッパから科学と政治が入ってきた。
しかし、真善美はすっぽり抜け落ちてしまった。
むろん、”人間” なんて、どこ探してもない。
困った。
ニホンジンに”人間” はない、あるのは”世間”である。
とーぜん、真善美もあろーハズもない。
ニホンジンに、古代ギリシア以来の、真善美を形作っている普遍が、
理解できない。
ニホンジンの政治とはヨクタカリに変容されてしまった、
ニホンジンの科学とはベンリに変質してしまった。
ニホンジンの芸術とはキレーの域を出ない。
困った。
”
普遍がないとこでは、ムラのエゴだけである。ギャハハハ。
理想と理念を口走っても、普遍が理解できないとこでは、
お題目に過ぎない。
ニホンジンとはことのほか、お題目がスキである、
ノーモアヒロシマ、ギャハハハ。
ニホンジンに真善美のフヘンが理解できない、理解できるのは世間のフベンだ。
オレか、愛は理解できないが、
おまえのおまんこを狙ってる、ロクデナシだ。
ギャハハハハ
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