- 名前
- life1
- 性別
- ♂
- 年齢
- 51歳
- 住所
- 高知
- 自己紹介
- 年齢は試しに書いたもので実年齢は天命を知る歳も半分過ぎました 何にでも興味あり! 援...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
Hard to say I‘m sorry を聞いて
2013年05月11日 17:08
小説を書いていて、二人がドライブするシーンでバックにChicagoの Hard to say I‘m sorryが流れるシーンを書いた。別段意識したわけではないが、高速をクルーズすると私ならQueenとかChicagoがいいかなと思ったに過ぎない。勿論矢沢永吉も出てくるがそれは後のほうで。
私がChicagoを知ったのは中学三年のとき、同じクラブの友達から「長い夜」を聞かされたのがきっかけで当時友人後輩を交えそれを真似ていたことを思い出す。今でも一般にシカゴと書き、呼ぶがこれはチカゴが正解、もしくは近いようだ。
このボーカルのピーター・セテラは今聞いてもやはり感動するが、当時はChicagoのブラス交じりのサウンドがより印象的だった。
その曲の流れで検索するとHard to say I‘m sorryの生演奏をバックにフィギュアスケートのアイスショーの動画が出てきた。演技はトリノオリンピック銀メダリストのサーシャ・コーエンだ。トリノオリッピック女子シングルといえば金メダリスト荒川静香でテレビでもよく解説で見られるが、このオリンピックではサーシャ・コーエンはフリーでのジャンプ失敗もあり惜しくも金メダルを逃し、それは荒川の胸に輝いた私はどちらがどのメダルでも関係は無く、その演技にしか興味は無い。だから女子フィギュアでキム・ヨナが大手スポンサーにものを言わせ評価が高かろうが、トリプルアクセルに挑戦する浅田真央だろうがどっちでもいい、ようはどれだけ表現ができるかだけに興味がある。その点軍配はいまだとキム・ヨナにあがるしサーシャと荒川なら表現力はサーシャが何倍も上だと感じる。
Hard to say I‘m sorryをバックに滑るサーシャ・コーエンの表現には浅田は付いていけないと思う。それはサーシャと比較ということではなく、浅田本人の問題で、一番の違いは胸から肩、二の腕の動かせ方と思う。浅田は肩の動きが悪く職線的でしなやかさに欠け、その分優雅さが出てこず子供じみてくる。サーシャのそれは下半身から腕の先までしなやかに動かすことができ、別の動画ではスケートしなくて踊りでそれを表現するのだから変えるはずが無い。少し違うが今MLBに行った岩隈投手の腕の動きがそうだった、ひじが柔らかくまるで鞭のように腕が振れた。
もともとベースが違うのだろうか。方やスケートでの表現を求め、方やスケートが楽しくてやっていった。そんな風にも感じられる。
テレビで放送するのをよく見る。当然スポンサーの意向もあり、視聴者の数を考えるのも必要なのは分かる。私が関係者でもやはり同じように扱うだろうが、でも駄目なものは駄目といわせる。見る側もファンなのは分かる。分かるが何でもかんでも受け入れるのは、これはいかがかと思う。浅田がトリプルアクセルにこだわるのも分かるが、表現力が低い一発勝負では肇から勝つのは難しい。私はその滑りを見るたび相変わらずだな、周りはなぜそこを指摘してやらないのだろうとテレビに語りかけるほどだ。
見る側のレベルが高くないと演じる側、選手のレベルも絶対に上がらない。マスコミが「これはすばらしい」と報道するとそれがさも良いような錯覚で会場へ行くがそれでだまされること数度・・・帰りは金返せ状態も何度もある。アイスショーでよくメダリストとして浅田が出ているが、子供のような演技を見ようとは思わないし、どうせ金払うならピーター・セテラ、サーシャ・コーエンに出す、それが倍の値段でもそちらを選ぶ。Hot Icecool sound 2008では曲紹介の後「Are you ready」の時のピーターとそれを受けたサーシャの年齢差、表情が最高でこの曲の雰囲気を盛り上げるしイントロからボーカルが始まる演出にしても上手いなと感じるし、すべてが一流に思える。どうせ金払うなら心から感動したい。
もう一点はやはりショービジネスとして考えたとき、アメリカのそれは見せ方も知っていれば、出てくるアーティストも演じる側も皆、客がどんなレベルで何を求めているか知っているように感じる。残念ながらこの国はまず金でそれを構えるために良かろうが悪かろうがPRで盛り上げ客を呼ぼうとしているようでならない。だから演劇も映画も音楽も薄っぺらで安っぽくなってしまうのではないだろうか。これも残念ながらアメリカには遠く及ばない。アメリカで無くともシルク・ドゥ・ソレイユにしてもオペラにしてもミュージカルにしても然り。まあ歌舞伎ならお家芸になるかもしれないけど、すべてそれにかける情熱が感じられない。
ミラノスカラ座の天井桟敷席ではアーティストが一流だろうが二流だろうが悪ければブーイングの嵐がおきるという。観客とはそういうものだと思う。報道、評論に惑わされること無くきちんとした価値観評価を持ってみて、選手やアーティストを育ててもらいたいと感じてならない。
いまや昔買いたくても買えなかった録音物も安く簡単に手に入るようになった。今度はChicagoのベスト版でも落札し、自分が書いた小説のようにドライブの時はその曲を聴きながら走ることにしよう。
いや~今回は長文になったかなあ~(笑)
このデジログへのコメント
コメントを書く