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「海・呼吸・古代形象」解説

2013年04月26日 01:32

「海・呼吸・古代形象」解説

今、ウラログで『女の「イク」についてのノート』と題する文章を書いている。別にオモテに書いてもいいのだ。自分の中で、オモテとウラを区別していないから、どちらもオモテといえばオモテだし、ウラといえばウラになる。この今書きつつある文章は、拙いとしても、主観的には、自分にしか書くことができない、オリジナルな論考だと思っている。それでも、私の論考は、三木成夫の優れた業績がなければ決して成り立つことなどない。三木成夫は、吉本隆明の著作でその存在をしった。



 この解剖学者はひとつの確かな方法と理念をもっている。わたしは、植物や動物や人間の、解剖学からみた構造や、機能や、進化の姿について無知だったから、個々の知識もたくさん啓蒙された。たとえばわたしは対幻想という発想をしたときから男女の区別は相対的なもので、一人の人間と一人の人間の関係の仕方が対幻想だと定義してきた。三木成夫のの著作を読むと、陰核女性のなかの男性性器の名残りで、前立腺の領域では、男性のなかの子宮の名残りだとかいてある。それを読みながら一人の人間の関係にまつわる言葉や、思考や、行為の領域では、男性も女性もより男性の領域にあるか、より女性の領域にあるかどちらかだと考えるべきだ。そう思うようになった。いってみれば対幻想の領域にある構造をあたえられる気がしてきた。

「海・呼吸・古代形象」−生命記憶と回想 三木成夫著 うぶすな書院 解説より引用



 吉本隆明の解説文はここでもちゃんと批評文になっている。引用していないが、自分の思想的課題にひきよせると、三木成夫の論考のどこのどの部分が言語表現論にどうつなげられ、展開され、深化されているかも明らかにさせている。

 一人の人間と一人の人間の関係の観念領域を指す吉本の対幻想概念は、ミシェルフーコーがn個の人間がいれば、n個の性があると、執拗に繰り返していたらしい、性の概念と同じだと思う。ある概念を別の言葉で表現している。それだけの違いだ。だが、この提起された概念の一致は奇跡に近いはずだ。極東の島国で生まれた思想と西欧思想史の頂点ともいうべき思想が一致することなど、まずありえないはずだ。近代以降の日本の思想は、たんに欧米の思想をなぞっているに過ぎない、と言い切ることができないこともない程度のものだからだ。

 80年代エイズで死んだフーコーは、同性愛者だった。彼は、同性愛であれ、異性愛であれ、n人の人間がいれば、n人だけの関係がある。性とは心と心の関係概念だと言いたかったのだろう。同性愛者としての生き方は特異でも、異常でもなく、人間と人間の普遍的なありかただ。そう主張したかったのだろう。自分の生き方の追究が思想的追究の課題でもある。でなければ、思想表現など知識のひけらかしであり、知的遊戯でしかない。

註:写真は近所のコリアタウンの入り口にある大門

このデジログへのコメント

  • archer 2013年05月16日 17:36

    あなたのおっしゃることを肯定します
    フツーの人はそれでいいでしょうし
    文学や思想は知的遊戯であり、娯楽の要素を含んでもいます
    しかし知識人の言説が空疎な言葉遊びでしかないなら
    私はそれを否定します

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