- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- 中身は40代。 気が弱く臆病だが、ココロは獰猛。
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坂本暗殺
2012年02月29日 18:06
龍馬暗殺が慶応3年11月の誕生日が命日となった、10日だ。
なんで殺されたか?だれに?
殺したのは西郷だ。
当時坂本を付け狙っていた京都見回り組に、居場所、隠れ家の情報を密かにリークした。
うんで、見回り組7人が幕府消滅の怨念と命令で、坂本を殺した、中岡は巻き添えを食っただけだ。
なんで殺されなければならなかったか、
坂本がいては西郷の討幕派にとってすこぶる都合が悪いにだ。
4月の第二次長州征伐で、下関戦争で幕府軍は高杉らの長州税に敗退した。
これを見ていた全国の300諸侯の諸藩は動揺した。大幕府が取るに足りない一長州に負けるとは。
ここから政治の潮目が一気に変わった、
諸藩は一気に、西洋式軍備を整え始めた。
この勝ちに乗じて勢い盛んになったのが薩長同盟はだった。
この下関戦争で、西郷は新式軍備を整えれば、アノ幕府に負けないかもしれないと踏んだ。
この下関戦争までは、誰もが幕府が負けようとは思っていなかった。日本のどの藩も公儀幕府に刃向かうなどとこの戦国以来、考えたことなどなかった。であるから、幕府の横暴な改易に250年も忍従してきた。
それが吹っ飛んだのだ。坂本が斡旋した最新式ゲーベル銃で、幕府軍の種子島を圧倒した。
薩長同盟派に諸藩の目端の利くものは合流し始めた、土佐、佐賀、など西国大名だ。
こういった政治情勢に、徳川慶喜は、時代の流れとして幕府政権を手放すことで徳川家の温存を図った。もっと言うと慶喜は時代の流れを理解する利口な人間だったとも言える。暗愚であったら、戦争になっていたろう。
普通政権を掌握するとは戦争のトーナメントで最終勝利者が、政権を掌握する。古今東西、今日に至るまで変わらない。
であれから、政権委譲などと言うことは、古代中国の堯舜の禅譲みたいな現実にはあり得ないことなのだ。
だから、当時の誰もが坂本が唱えた大政奉還などというものは夢物語で、あり得ないと思っていた。
ところがギッチョン、あろうことか、慶喜が大政奉還をしたのだ、関係者一同、腰を抜かした。
ま、そんなことだ、うんで、いきなり、坂本の株が上がった、ってワケだな。
つまり、ここにきて一介の素浪人、坂本龍馬を無視できなくなってしまった、薩長同盟派もそして幕府方も
もはや、幕府方は坂本に頼るほかなくなってしまった。薩長方は口出しできなくなってしまった。
うんで、つぎに先手を打って、船中八策など政治方針を出していく、薩長方は蚊帳の外になってしまっている。
幕府方はともかく、薩長同盟、討幕派は焦るだろ。今までしこたま血を流してきたことが、ひょっとすると坂本の政治方針で無駄になるかもしれない。薩長討幕派には幕府と戦争をやってかったのはオレの方だという、傲慢な意識がある。
ま、言ってみれば、坂本は漁夫の利を占めた格好だ。
そして、ここが一番大事なことだが、坂本の手動で新政府を作れば、幕府はなくなるかもしれないが徳川家は温存されて、強大な政治権力が維持されたまま新政府に参画されれば、日本の革命は不十分いなる、なった、ということだ。
徳川家がちゃんといるだから、廃藩置県は骨抜きにされたであろう、徳川家が強大な所領をもったままであれば、版籍奉還はなされなかったであろう。
つまり、明治維新の回転は失敗に終わることになる。
これを西郷大久保は知っていた、だから、是が非でも徳川家を追放しなければならなかった。なにがなんでもだ。
アノ強大な徳川家を追放して、逆賊として官地を剥奪してしまえば、後は簡単だ。廃藩置県も版籍奉還も造作もない。うんで、簡単に西郷が強行した。
坂本はアイデアマンでの改革者であって、西郷は革命家だ。根本的に違う。
もし坂本が暗殺されず、政治改革がなされたなら、中国の孫文の辛亥革命と同じように不十分で内戦になったであろう。
坂本はやさしい、やさしすぎるくらいだ。坂本の優しさ裏目に出た格好だ。
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