- 名前
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- 最近は正しい近代史を中心にログを綴っております。 日本人であることを誇らしく思う今日...
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軍人勅諭
2011年07月10日 02:20
さて。
明治時代に国軍となった日本軍のひとりひとりに、明治15年正月に天皇陛下が発せられたお言葉がこの「軍人勅諭」です。
「日本軍人たるもの」を戒める内容です。
陸軍はこれを全て暗唱させた。
海軍は後半の戒めだけはきちんと覚えさせられたそうです。
全文掲載すると、とんでもないことになるので要約してみます。
前半は国軍の歴史なので割愛。
後半の五つの戒めこそが最も重要なものです。
一、軍人は忠節を尽くすことを義務としなければならない。およそ生を我が国に受けた者は、誰でも国に報いる心がなければならない。まして軍人ともあろう者は、この心が固くなくては物の役に立つことが出来るとは思われない。軍人でありながら国に報いる心が堅固でないのは、どれほど技や芸がうまく、学問の技術に優れていても、やはり人形に等しいだろう。その隊列(兵隊の列)も整い、規律も正しくとも、忠節を知らない軍隊は、ことに臨んだ時、烏合の衆(烏の群れのように規律も統率もない寄せ集め)と同じになるだろう。
そもそも、国家を保護し国家の権力を維持するのは兵力にあるのだから、兵力の勢いが弱くなったり強くなったりするのはまた国家の運命が盛んになったり衰えたりすることをわきまえ、世論に惑わず、政治に関わらず、ただただ一途に軍人として自分の義務である忠節を守り、義(天皇の国家に対して尽くす道)は険しい山よりも重く、死はおおとりの羽よりも軽いと覚悟しなさい。その節操を破って、思いもしない失敗を招き、汚名を受けることがあってはならない。
一、軍人は礼儀を正しくしなければならない。およそ軍人には、上は元帥から下は一兵卒に至るまで、その間に官職(官は職務の一般的種類、職は担当すべき職務の具体的範囲)の階級があって、統制のもとに属しているばかりでなく、同じ地位にいる同輩であっても、兵役の年限が異なるから、新任の者は旧任の者に服従しなければならない。下級の者が上官の命令を承ることは、実は直ちに朕が命令を承ることと心得なさい。自分がつき従っている上官でなくても、上級の者は勿論、軍歴が自分より古い者に対しては、すべて敬い礼を尽くしなさい。
また、上級の者は、下級の者に向かって、少しも軽んじて侮ったり、驕り高ぶったりする振る舞いがあってはならない。おおやけの務めのために威厳を保たなければならない時は特別であるけれども、そのほかは務めて親切に取り扱い、慈しみ可愛がることを第一と心がけ、上級者も下級者も一致して天皇の事業のために心と体を労して職務に励まなければならない。
もし軍人でありながら、礼儀を守らず、上級者を敬わず、下級者に情けをかけず、お互いに心を合わせて仲良くしなかったならば、単に軍隊の害悪になるばかりでなく、国家のためにも許すことが出来ない罪人であるに違いない。
一、軍人は武勇を重んじなければならない。そもそも、武勇は我が国においては昔から重んじたのであるから、我が国の臣民ともあろう者は、武勇の徳を備えていなければならない。まして軍人は、戦いに臨み敵にあたることが職務であるから、片時も武勇を忘れてはならない。
そうではあるが、武勇には大勇(真の勇気)と小勇(小事にはやる、つまらない勇気)があって、同じではない。血気にはやり、粗暴な振る舞いなどをするのは、武勇とはいえない。軍人ともあろう者は、いつもよく正しい道理をわきまえ、よく胆力(肝っ玉)を練り、思慮を尽くしてことをなさなければならない。小敵であっても侮らず、大敵であっても恐れず、軍人としての自分の職務を果たすのが、誠の大勇である。
そうであるから、武勇を重んじる者は、いつも人と交際するには、温厚であることを第一とし、世の中の人々に愛され敬われるように心掛けなさい。理由のない勇気を好んで、威勢を振り回したならば、遂には世の中の人々が嫌がって避け、山犬や狼のように思うであろう。心すべきことである。
一、軍人は信義を重んじなければならない。およそ信義を守ることは一般の道徳ではあるが、とりわけ軍人は信義がなくては一日でも兵士の仲間の中に入っていることは難しいだろう。
信とは自分が言ったことを実行し、義とは自分の務めを尽くすことをいうのである。だから、信義を尽くそうと思うならば、はじめよりそのことを出来るかどうか細かいところまで考えなければならない。出来るか出来ないかはっきりしないことをうっかり承知して、つまらない関係を結び、後になって信義を立てようとすれば、途方に暮れ、身の置きどころに苦しむことがある。悔いても手遅れである。はじめによくよく正しいか正しくないかをわきまえ、善し悪しを考え、その約束は結局無理だと分かり、その義理はとても守れないと悟ったら、速やかに約束を思いとどまるがよい。
昔から、些細な事柄についての義理を立てようとして正しいことと正しくないことの根本を誤ったり、古今東西に通じる善し悪しの判断を間違って自分本位の感情で信義を守ったりして、惜しい英雄豪傑どもが、災難に遭い、身を滅ぼし、死んでからも汚名を後の世までのこしたことは、その例が少なくないのである。深く戒めなければならない。
一、軍人は質素を第一としなければならない。およそ質素を第一としなければ、武を軽んじ文を重んじるように流れ、軽薄になり、贅沢で派手な風を好み、遂には欲が深く意地汚くなって、こころざしもひどくいやしくなり、節操も武勇もその甲斐なく、世の人々から爪弾きされるまでになるだろう。その人にとって生涯の不幸であることはいうまでもない。
この悪い気風がひとたび軍人の間に起こったら、あの伝染病のように蔓延し、軍人らしい規律も兵士の意気も急に衰えてしまうことは明らかである。朕は深くこれを恐れて、先に免黜条例(官職を辞めさせることについての条例)を出し、ほぼこのことを戒めて置いたけれども、なおもその悪習が出ることを心配して心が休まらないから、わざわざまたこれを戒めるのである。お前たち軍人は、けっしてこの戒めをおろそかに思ってはならない。
右の五ヶ条は、軍人ともあろう者はしばらくの間もおろそかにしてはならない。
さてこれを実行するには、ひとつの偽りのない心こそ大切である。そもそも、この五ヶ条は、我が軍人の精神であって、ひとつの偽りのない心はまた五ヶ条の精神である。心に誠がなければ、どのような戒めの言葉も、よいおこないも、みな上っ面の飾りに過ぎず、何の役にも立たない。心にさえ誠があれば、何事も成るものである。まして、この五ヶ条は、天下おおやけの道理、人として守るべき変わらない道である。おこないやすく守りやすい。
お前たち軍人は、よく朕の戒めに従って、この道を守りおこない、国に報いる務めを尽くせば、日本国の人民はこぞってこれを喜ぶだろう。朕ひとりの喜びにとどまらないのである。
要約するとこういうことです。
・軍人は忠節を尽くすべし。
・軍人は礼儀正しくあれ。
・軍人は武勇を重んじるべし。
・軍人は信義を重んじねばならぬ。
・軍人は質素であれ。
現代の自衛隊員にもつながる姿勢です。
そしてこう書いてある。
粗暴であってはならない。人と付き合うときは常に温厚に。常に自分を戒め、よく物事を考え、出来うる最大のことを誠実に実行せよと。
そうすれば国民は必ず喜んでくれると。
世界中どこを探し回っても、これほどまでに戒律の厳しい国軍など古今東西存在しない。日本以外には。
南京では暴虐の限りを尽くしたことにされているわけですが・・・・・。
そんなことすればこの陛下の命に背くことになるというのに。
進んでこの戒めを破ったのか?中国大陸だけで。そして朝鮮半島だけで。そんなバカな話はないだろう。
ちょっと考えればすぐ分かることだ。
今なら自信を持って「虐殺などなかった」と言えます。
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