- 名前
- あき
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- 年齢
- 52歳
- 住所
- 広島
- 自己紹介
- 機械いじりが大好き。AV機器は良くいじりますよ。根っからの技術屋さんです。あとは気分...
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自転車にまつわる思い出
2006年07月26日 15:21
自転車ですかぁ、最近全く乗っていないですね。
学生時代は色々エピソードがあって面白かったんですが、もう車ばっかり。まぁ色々理由はあるんですけどね。
さて、最初の思い出と言えば、まずは、初めて補助輪をはずしたとき、でしょうね。
最初は片方だけはずしてもらって、乗り回してたんですよ。当時うちは山の頂上付近に家があって(自動車道建設で立ち退き…)、家までたどり着くのに苦労していたわけですが、逆に言えば、出かけるときは、下り坂を思い切り走れるわけです。坂半分降りたところに家があって、また坂があるという状態でした。うちから下の家までは、コンクリで仮舗装みたいにしてあったんですが、その下は、土むきだし、石ころいっぱい、な状態だったわけですよ。これは一気に下ると、そうりゃあもう、面白かったですよ。アスファルトを下るのとはワケが違いますからね。悪路を走り回るの大好きだったわけです。小学生低学年用くらいの自転車ですから、電池を入れて、無意味な電飾とサイレンで遊んでいたわけです。
そこへ、補助輪を両方はずそうと言うときがいよいよやってきました。誰もが通る道ですよね。
祖父の家まで行って、無理矢理撤去、半強制的に乗せられ、「行くぞ、ほーら!」と無責任にも強制的に押されて、急に手を離されるわけです。あの時の恐怖は今でも覚えていますよ。当然転びますよね。何度もやらされるわけです。もう大泣きしながら、乗らされていた思い出があります。その後は記憶にないですが、数日で普通に乗っていたと思います。感覚さえ掴めば、乗れますしね。
その後、高学年くらいになるとさすがに電飾自転車には乗れませんので、ごく一般的なかご付き自転車に変わりました。この時初めて変速という物を体験し、坂登るの楽じゃねー?と思った記憶があります。その後立ち退きで引っ越し(すぐ近くですが)、引き続き活躍することになります。
この自転車には思い出が色々ありまして…。
中学の頃、よく買い物とかに自転車で出かけていたのですが、履きつぶした上履きをかかとつぶして、履いて乗っていたんですよね。ちょっとカッコつけしてみたかった年頃だったわけです(笑)
ある日の夕方、買い物に行こうと、近くのスーパーへ向かう途中、その事件は起こりました。
家から、私道が結構あり、軽い気持ちで乗っていたんですね。いつもどおり。あと少しで車道へ出るので、こぐのを止め、惰性で走っていたんですが、夕方で日も暮れてきて暗くなってきたわけです。これはライトでも点けるか、と、もう最近はあまりないですかねぇ、ダイナモ(タイヤに発電機を接触させて発電し、その電力でライトを点ける方式)のレバーを、足でバタンと倒そうと足を伸ばしたわけです。その直後、視界が急に変わり、気がつくと、Flying High! 僕は空中を飛んでいました。その時間の長いこと長いこと。ほんの一瞬だったはずですが、もう何分にも感じましたね。顎からアスファルトに激突し、勢いもあったので、滑ったんでしょう、顎がえらくすりむけ、もう流血だらだらですよ。幸い目撃者はほとんどおらず、自力でそのまま家へ帰宅しました。
何でこうなったか、説明するのはほとんど不要かとは思いますが、足でダイナモを倒そうとしたとき、半履き状態の上履きが見事に走行中の前輪に巻き込まれ、スポークの間にはさまり、前輪が止まったんですね、急に。すると、今まで走行してきた勢いがありますから、運動エネルギーは、前輪を軸に自転車を後ろから持ち上げて、乗っていた僕を、高く高く、大空へ飛ばしていったわけです。本人は意味分かってないですから、防ぐ方法なんてこれっぽっちも思いつくわけ無いのです。だから慣性の法則のまま、飛んでいったんですね。これよく想像してみてください。すんげぇバカですよ?いや、書いてる方がバカ笑いしながら書いているんですけどね(激バカ)
この時の傷は当分残り、ちょっとケロイドっぽくなっていました。今でも触ってみると、顎にその傷跡が残っています。
これほどおバカな事件は後にも先にもありません。今思い出しても十分笑えるわ、これ…。
ちなみに、スポークに上履きがはまってしまったので、前輪はちょっと変形し、ふにゃふにゃと走っていました(笑)
この自転車には、まだ思い出があります。
こういう状態になっても乗り回していたわけですが、有る物をきっかけに女の子と知り合いになりました。ウラでも出てきた、初めての娘です。
彼女の家は、結構離れていて、車ではすぐですが、自転車とかだと、一生懸命走っても30分以上はかかる距離があったんです。
出会い始めて少しして、お呼ばれしまして、彼女の家へ行くことになりました。しかも深夜です。ナニしに行くのか想像付くかと思いますが、へろへろの自転車をこいで、しかも真冬ですよ、耳がちぎれるほど痛いわ、雪は降ってくるわ、散々な中、走り続け、やっと到着です。玄関からはヤバイから、こっちから来て、といわれたはいい物の、ブロック塀を渡ってこいと言うわけですよ。俺はネコじゃねぇ…と思いながらもふらつきながら、何とか裏口から侵入成功です。後のことはご想像にお任せしますが、午前様になって、帰宅する、っていうのを、ほぼ毎週金曜の夜にやっていたわけです。なぜかというと、親父が愛人と遊んで戻ってこないのが、金曜の夜だったからです。
その後は、彼女が高校受験とかで忙しくなり、会えなくなりましたが(ここで、ちょっとマテ、相手は中学生かい?っていう突っ込みは無しの方向で(笑))、時々は息抜きに会いに行っていたもんです。そのときも相変わらず、このへろへろ自転車は活躍してくれました。
高校入って2年くらいの時かな、クラスメイトが、自転車買い換えるっていうんで、今までの壊れたの?とか言ってたら、単に古くなったからだけだとかで、譲り受けました。これが三代目になります。今度は、スポーツタイプのデカイ自転車で(ええ、どうせ僕はチビですからw)、普通に乗ると、走ってるときはいいのですが、止まると、足が地面に付きません(笑)それでも工夫すると、乗れるようになる物で、ちょっと無理な体勢すれば、片足が地面に付きましたし、ちょうどブロックがあるとこが有るじゃないですか、車道と歩道の境目とかですね、これを利用すると、楽に足を付くことが出来たわけです。
その後はこの自転車だと、高速で走れるので、高校(普段は、列車とか乗り継いで、1時間くらいの距離でしたが)へ朝早く行く必要があるとき(体育祭の準備とか)に使っていました。結構気に入っていたんです。ハンドルは立ててましたしね。
そして就職が決まり、横浜へ行くことになりますが、この話は特に本編とは関係ないので、飛ばして、強制送還される日が来ました。5年横浜にいたんですが、楽しかったなぁと想いながら、帰宅しました。ある日、自転車に乗ろうとして、気がつきました。ん?無い……。へろへろ自転車と共に廃棄されていたのです。オバハン(叔母ですが)の仕業です。勝手に捨てるなよと。勝手に自分で判断して、ゴミにしやがって、俺の思い出を返せーって気分でした。悲しかったですよー。大空を滑空した日のこと、夜這いしに行ったときのこと、色々思い出がありました。
その後、四代目を購入するわけですが、もう乗る暇がない。乗る機会もない。唯一乗る機会と言えば、当時会社では、日曜当番の日があって、交代で出勤していたのですが、日曜って、公共交通機関のダイヤが祝日ダイヤになっていて、不便なんですよね。休日運休の列車も多くて。で自転車使っていた時期がありました。片道一時間かかってましたけどね。まだ、ストレスが溜まっていない頃のお話しです。その後は、会社を辞めましたから、乗る機会は全くなくなり、さらに車を譲り受け、完全に乗らなくなりました。
このように特に学生時代は、自転車にまつわるエピソードが多くて面白かったですね。車を知らないので、別に不便と思わないわけですよ。いやはや懐かしい思い出でした。書きながらバカ笑いしたのも久しぶりでしたが。
車に乗ったら乗ったで、エピソードがまた有るわけですが、また今度。
次回は、以前から、ヤフオクの話しでもしようと思っていたのですが、ちょっと気が乗らないので、別の機会にして、「過去に読んだ漫画の話」でもしようかと思います。漫画の話し第二弾ですが、今度は男性向けの漫画になります。文庫は書きません。それは数多いのでまた別の日に。ではまた次回~。
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