- 名前
- くまごろう
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- 年齢
- 56歳
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- 鳥取
- 自己紹介
- 最近は正しい近代史を中心にログを綴っております。 日本人であることを誇らしく思う今日...
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ヒロシマに嘆き、怒った著名人
2010年08月09日 13:20
ちょうど今日、長崎の原爆慰霊祭がおこなわれましたね。
6日は広島でした。
広島の原爆慰霊碑には、こう綴ってあります。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
実はこれに強い不快感を示された著名人がいらっしゃいます。
インドのパール博士です。
東京裁判の判事の一人として名を連ね、ただ一人だけ日本無罪を主張した国際法学者。
1952年、博士が来日された際、この碑文を見て、嘆き、哀しみ、怒りを露わにされたというお話があります。
以下、『パール博士のことば』より引用。
(1952年)11月5日、博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳のナイル君に何がかいてあるかと聴かれた。『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』・・・博士は二度三度確かめた。その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなった。
「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」
このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である浜井広島市長とパール博士との対談まで発展した。
このあと博士はわたくしに「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」と慨嘆された。
引用終わり。
「日本人が犯した過ちではないだろう。」
博士はそう言っておられます。
まさに正論。
1952年にパール博士が広島を訪問した際に、パール博士から原爆被災者に相応しいお言葉を頂き石碑にした。
これは市内の本照寺というお寺に残っています。
「大亜細亜悲願之碑」より引用
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む
1952年11月5日 ラダ・ビノード・パール
引用終わり
間違った歴史は正さなければいけない。
絶対にそうあるべき。
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