- 名前
- くまごろう
- 性別
- ♂
- 年齢
- 56歳
- 住所
- 鳥取
- 自己紹介
- 最近は正しい近代史を中心にログを綴っております。 日本人であることを誇らしく思う今日...
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せつない話。
2010年08月03日 19:27
先月の後半に、「命のことば」という本を買って、今、読みふけっています。
もう3巡目になります。
どうしても頭を離れない話があるので、今日はこれを紹介してみようと思いました。
特攻隊員の遺書をまとめたこの本には、愛情を注いだ恋人や家族への別れの言葉が切々と綴られているのですが、少し他の皆さんとは違う思いで遺書をしたためた方がいらっしゃいます。
藤井一 陸軍中尉。
陸軍特攻隊 第四五振武隊
昭和20年5月28日 沖縄洋上で戦死
享年30歳
藤井中尉は、歩兵から陸軍航空士官学校に転科入校し、熊谷陸軍飛行学校に赴任した変り種。
彼の任務は、少年飛行兵の育成でした。
少年兵を、一人前の特攻隊員に育て上げた彼は、
「お前たちだけを死なせはしない。中隊長も必ず行く」
といって若者を送り出したそうです。
事実、志願をしたそうです。
しかし、彼には若い妻と幼い二人の娘がいたこともあり、上層部は彼の志願を却下したのだそうです。
中尉の苦悩を見ていた妻、ふくは、
「私達が居たのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っております。」
という遺書をしたため、一歳になる次女を背負い、三歳の長女の手と自分の手を紐で結び、12月の寒風吹きすさぶ学校近くの荒川に入水心中した。
中尉は、ほどなく見つかった3人の遺体を、涙をこらえて見送ったそうです。
その後、血書で嘆願した藤井中尉の願いは上層部に聞き届けられ、鹿児島県の知覧から、妻の父親に宛てて遺書を書きます。
「ふく、一子、千恵子に遭えることを楽しみにしております。」
そして、我が子への遺書。
「父も近く御前達の後を追って行けることだらう。嫌がらずに今度は父の膝に懐で抱っこしてねんねしようね。
それまで泣かずに待っていてください。千恵子ちゃんが泣いたらよくお守りしなさい。ではしばらくさようなら。
父ちゃんは戦地で立派な手柄を立ててお土産にして参ります。では、一子ちゃんも千恵子ちゃんも、それまで待っててちょうだい。」
その後、筑波山を望む郷里の小高い岡の上に、親子4人の墓が寄り添うように建てられたそうです。
特攻隊員として散って逝った多数の御霊とともに、軍人の妻としての覚悟を示した奥様。
表には出ないでしょうが、こういう覚悟で亡くなられた女性も少なくないと思います。
覚悟を持って戦われたご先祖様たちに、我々は感謝しなければならないと思います。
誰もこの時代の人たちを批判することは出来ないでしょう。
このデジログへのコメント
> 舞さん
日本人であることに誇りを持って生きましょう。
子供達にも、きちんと正しいことを教えてあげれるようになりたいと思いました。
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