- 名前
- くまごろう
- 性別
- ♂
- 年齢
- 56歳
- 住所
- 鳥取
- 自己紹介
- 最近は正しい近代史を中心にログを綴っております。 日本人であることを誇らしく思う今日...
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昭和天皇は20世紀最高の君主
2010年05月01日 00:26
今回は動画はありません。
問題です。
終戦後、天皇陛下はどこにお住みになっていらっしゃったでしょう?
現在いらっしゃる吹上御所というのは、昭和36年の終わりに移られた場所です。
ではそれまでは、一体どこにお住まいになっていらっしゃったのでしょう?
戦時中、爆撃で御住居が燃え落ち、昭和天皇は昭和19('44)年から、皇居内「御文庫」という処に仮住まいなされました。
ここの湿気が強烈だというのですが、驚くべきことに
昭和天皇・皇太后は、戦争が終結して昭和36(1961)年までこの仮住まいから引っ越されなかったそうです。
この「御文庫」、湿度の高さが尋常ではなかった。
屋根裏に入れる爆弾よけとして雪の積もった砂をそのまま詰めてしまっており、この雪が解けて腐ったような水が電気コードをつたってポトポト落ちてくる。
一方、地下室からは猛烈な湿気が太い柱をよじ登ってくる。
背広をつるしておくと2、3日でジットリ湿ってしまうほどだったと当時の侍従だった入り江相政氏が、『天皇さまの還暦』や『皇居』で書いている。
こんな施設に昭和天皇は戦後も住んでおられたのだ。
湿度は高いし、陽は差さないし、風は入らないし、健康にいいはずがない。
ここで侍従が陛下に進言する。
「日当たりのいい風通しのいいお住居を造らせていただきたいのですが」
昭和26年頃だが、陛下はこう言って拒否される。
「世の中には住む家の無い人もあるのに、私にはこれだけのものがあるのだから。」
「湿気ると言っても、印象だけでは問題にならない。数学的な根拠を示さなければ。」
侍従たちは、・・専門家に見せて計器を設置し、一年間データを取ったら、やはり最悪だと
結果がでた。
そこで修理することになったが、屋根裏からは3立方メートルくらいのところから、ドラム缶二杯半の水が出たという。
昭和28年頃から、対外的にはやはり新宮殿が必要だという話が持ち上がったが、・・だが「公事」と違って「私事」だから、陛下は気が進まない。政府は何度も新居へ移るよう勧めるが・・
「みなが空襲や引き揚げで住むところも無く苦労しているのに、自分だけそうするわけにはいかない。」
昭和天皇は・皇后はなんと皇太子の御成婚の後まで「御文庫」に住まわれ、昭和36年12月に、やっと新たに建てられた吹上御所に移られたのである。
そのとき仰られた言葉が泣かせる。
「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ。」
誰も知らない話です。
もうひとつのエピソード。
昭和天皇は、・・昭和10年頃から背広を新調していなかった。
そのため終戦後は、十年以上前に作った背広を着て、22年の夏の東北巡幸では、かぎざきをつくろっていたのが出てくる始末。
「ぜひご新調になるように。アメリカ人なんかも見ておりますから。」
「アメリカは勝ったんだし、金持ちなんだから、いい物を着たって当たり前だが、日本は負けてみんな着るものもなくてこまっているじゃあないか。」
「洋服なんか作る気になれない。」
「あんな古い洋服を着ておられては、我々の肩身が狭くて困るのです。」
「ふうむ・・」「そんなに言うなら、少し作ろう。」
こうして作った二、三着の背広を非常に大切にされ、晴れがましい客に会うときに着るようにされたという。
客との会見が済んで部屋に戻ったら早くも上着を脱いでしまわれる。
これは国民の肩身を狭くしないために作った洋服だから、そういう時のために綺麗にとっておかなくてはというお気持ちだったという。
『昭和天皇論』小林よしのり著 『終章 御文庫から』P.329~P.333
この漫画を、本屋で立ち読みしながら泣きました。
当然ですが、レジでお金を払って購入しました。
常に国民を思い、国民と共にあられた、在りし日の昭和天皇陛下。
我々国民一人一人の、少しばかりの税金を、このような皇室のために使うことに、私は何ら不足を言うつもりはありません。
皆さんはどう思われますか?
このデジログへのコメント
> グッディさん
私もそう思います。
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