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定家明月記私抄〈堀田善衛) その6
2009年05月07日 21:22
1203年の記録。
パルナッス:聖所 (転じて)詩壇,文学界
建仁三年〈1203年〉 日本のパルナッス(Parnasse)は連続放火の火に映えていた。一言で言って、これがデカダンスというものである。一つの文化文明がデカダンスにおちいり得るだけの高さに達することが出来るという、歴史的機会もまた滅多には訪れてくれないものである。
と、堀田善衛は当時を分析する。
その時定家43歳。4月に後鳥羽上皇に、新古今和歌集のための撰歌を献じている。まさに、歌壇爛熟の時である。
それを、堀田は日本のパルナッス、即ち聖所=詩壇が最高の高みに達したと言っている。だから、それの崩壊をこそ《デカダンスというものである》と、書いた。
その18年後、承久3年〈1221年〉、承久の乱で、日本のパルナッスは一つの終焉を迎えるのである。
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