- 名前
- kuma
- 性別
- ♂
- 年齢
- 60歳
- 住所
- 北海道
- 自己紹介
- すみません。いろいろと足跡を残すと思いますがご勘弁をwデジログに自分の性格を出そうと...
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小さい時の体験
2009年03月27日 18:56
ちょっと今日の話は長くなるかもしれません。ご勘弁を。
私は小さい頃に両親が離婚して母親だけ母子家庭で育ちました。
今考えると本当にいろんなことがありましたね。
自分の父は若い頃から一所にじーとしているような性格ではなか
ったようでいろいろな所に引越しした覚えがあります。
仕事も炭鉱マンから土方、大工と変わっていくのです。
小さい頃は父親に叩かれた印象しかありません。それをおふくろ
がかばってくれてた印象。酒乱だったんです。酔って帰ってくると
玄関で寝てしまう。何かいうと手が出る。典型的な最悪なおやじ
でした。自分が小学校2年くらいに北海道から本州へ出て出稼ぎ
に行ったのですがその先で女を作りそれが離婚の理由になった
ようです。母親から「お母さん達離婚するからね。お前はどうする
か自分で決めなさい。もしお父さんのところへ行きたいなら行って
もいいよ」衝撃な一言でした。小学校3年の春の出来事でした。
自分が片親になる。この現実がなかなか受け入れられなく
子供心にすごく苦しんだ覚えがあります。
おやじが一度こちらに戻ってくるという話をされ、その時に結論
を出すように母親から言われてました。その間母親は一言も
そのことに対しては何も言わず普段と変わらない態度。
でも自分の心の中では結論は出ていたんですが。
おやじが帰ってきて3人でおばの旅館で話がされました。
どっちが自分を引き取るのか・・・これからお互いどうするのか
おやじにも「来たかったら来てもいいんだぞ」
でも自分ははっきりその場で言いました。
「かあさんと一緒にいるよ。かあさん一人じゃ可愛そうだから
・・・」おやじも一言「じゃ~とうさんは可愛そうじゃないの
か・・・」子供心におやじのわがままで別れると感じてた自分
がいたんです。その時おやじが買ってきてくれた当時は高価な
一眼レフカメラは今でも持っています。
それから母親と2人だけの生活が始まりました。その頃からです
自分のことは自分でやる習慣。学校から帰ってきて洗濯をしたり
かたずけをしたり。それが今の自分に根付いたものなんだと思い
ます。
あの当時は片親だということでいじめも受けました。小学校の
卒業では名前を母親姓に変えたんです。体育館にアナウンスが
流れます。「○○くんは家庭の事情により苗字が変更になります」
何も考えてくれていない学校の対応でした。
自分が小学5年の時、母親は自分で居酒屋を始めました。自分の
いとこを使い始めました。ちょうどそんな時母親にも彼氏ができ
たんです。店をやるときに協力してくれた人だったのですが
気がついたら3人で一緒に住んでいました。ちょうど思春期で
難しい頃だったのですがそんなある日、母親とそのおじさんが
抱き合ってる姿を見てしまいます。ショックでしたね。
結局、3年で別れました。そのおじさんには奥さんがいる。
不倫関係でした。その2年後に今のおやじと知り合ったんです。
母親と今のおやじは歳の差カップル。13違うんです。私と8つしか
違わない。ある意味兄弟くらいの歳の差ですがいい人です。
今は弟がいます。自分と17離れた弟。
なんだかんだでいろいろとありました。でも自分だけいろいろ
あったわけではないんです。もっと不幸な思いをしている人も
いるはずです。まだこうやって生きているだけでも
幸せだと言えるのかもしれません。
最後までお付き合いいただいてありがとうございました。
PS:この後に・・・近日更新します
このデジログへのコメント
きっと自分より大変だったと思います。
これからたくさんいいことあると信じましょう
今自分は結構いいところ底ですがwww
仕事が本当に決まらないと困りますw
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