- 名前
- ベソ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 64歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- コミンテルンが我が国の歴史を狂わせた。中学校の歴史授業でゾルゲ事件を教えるべし。 我...
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織田 信長だぎゃー
2009年03月13日 00:15
私、今週は名古屋で仕事しています。毎日赤出汁攻撃でそれは嬉しいです。
この話ね、くれぐれも名古屋/三河/尾張/中京を愚弄するものではありませんから誤解なさいませんよう。
昨晩、こちらの会社の人と飲みに行って、そう言えば信長も秀吉もこの辺りの人ですよね、というと元々この地域の生まれのその方は得意そうに、
「家康もそうですよ」
とおっしゃった。
私、決して自慢じゃないんですが、国史に弱いんです。常々もっと勉強しなきゃ、と思ってます。で、家康は確かに名古屋市内に徳川家の宝物を展示した博物館があるし、言われてみればなるほど、という感じ。
そこで私ね、はたと思いついたんです。
日本の戦国武将の語り口。皆さんもイメージあるでしょ?
でもそのイメージ、どこから来てますか?
恐らく100%、テレビでしょう。特にNHK大河ドラマ。違いますか?
その番組の中で、信長にせよ家康にせよ、堂々たる風格で
「うむ。そうであったな」
とか言ってるじゃありませんか。
でも。
でも、でも。
私は確信します。信長、秀吉、家康が三河地方の出身なら、そのようなことは決して言わなかった。
テレビもラジオもない時代。人々は例外なしにバリバリの方言で会話していたに違いない。
だから今の東京のことばで流麗にしゃべった戦国武将など嘗て存在したことはあり得ない。NHK始め各局は人々に阿る目的で、また想像力が欠如しているか正しい方言を考証するのが面倒なために、あのようなセリフ回しにしているに過ぎない。
そうすると…
あの、冷酷を持って知られた信長は、今の名古屋弁の祖の一部となった尾張の言葉でしゃべっていたに違いない。
自己紹介は… (って天下人が自己紹介する機会があったとしてですが)
「織田 信長である」
ではあり得ず、何と言ったか。
良いですか。
良く聞いてください。
「織田 信長だぎゃー」
ぐわははははは!!
笑いのツボを見事に射抜かれたベソ氏はお客様でもある名古屋出身の方数名を前に、涙を流さんばかりにしてしばらく笑い転げていました。
ああ、失敗だった。
その後、皆が私を見る視線が、どうも冷たい気が…
今朝、皆様に謝っておきました。
それにしても戦国武将たちの音声が残っていないのが悔やまれる…
美しき哉、お国ことば。
このデジログへのコメント
言われてみればそうですよね・・・でもそうなると風格も糞も(失礼)あったものじゃないですね(笑)お腹痛
そう言われればそうかも!ベソさんじゃなくても、きっと笑いますよ~☆イメージ吹っ飛びますよね!(^O^)
昔は昔の方言があったんちゃうかな?
前田利家も加賀百万石だけど
元は名古屋方面だったような?w
あはは(^^)
なるほど~w
でも、方言丸出しだと通じないんだろうね~(^^;;
「匿名」様・・・どなたかは存じませんが有難うございました。この場を借りてお礼申し上げます。どなたがどのような理由で、と考えてみますが分かりません。宜しかったらメールでお知らせを。お願い申し上げます
大儀であった♪
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