- 名前
- 京介
- 性別
- ♂
- 年齢
- 72歳
- 住所
- 神奈川
- 自己紹介
- 青森生まれで京都育ち。 今は横浜です。 スキーとスノーボードの先生もしていました。 ...
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あるぜんちな丸
2008年11月03日 00:35
今日は文化の日
ラテン語 colere(耕す)から来た言葉culture
文化と反対の言葉・・・未開
その未開の土地、然も南米に行かれた方達
もう随分前、乗り込みはしませんでしたが、送って行った事が有ります
綺麗な大きな白い船でした
あー、このまま僕も乗って行きたい、と思った
父方の従兄妹がハワイに移住した時です
重いスーツケースを持って行ってあげた
その従兄妹、春美さんは現地の日系人と結婚して、今もホノルルの近くに居ます
成功をされた一人です
今日の朝日の朝刊
滅多に社会面は見ない私がたまたま開いた
「縁」という題でそれは載っていました
1963年に両親がブラジルに移住
現地で生まれた二つ違いの姉妹
黒胡椒の栽培が軌道に乗りかけた時、父親が癌で亡くなります
迷った挙句、子供三人を連れ日本に帰る母
港を出てから暫くして、母親が入水自殺
連れ子だった5歳の兄は母方に
そして、3歳と9ヶ月の姉妹は父方の親戚で育ちます
肩身が狭い、遠慮する、我慢する
そして、母に捨てられたと、ずっと恨んで育つ
40年が経ち、姉がウェブで移民のHPを見てしまう
そして、メール
今も父の墓が残っているのを知る
2人でブラジルへ墓参り
40年経って、子供が出来ても母は許せない?
私は何故お母さんが自殺をしたのかを考えた
両親、兄弟にブラジル行きを猛反対された?
亡くなったご主人を心から愛していた?
だったら、形見である子供を何が有っても育てるのではないか?
4人の帰りの旅費
その当時のお金でもかなりの額な筈
そのお金を作る為に・・・・・?
私は男、解らない
女性の貴女はどう考えられますか?
教えて下さい
私が神戸に送って行った、あるぜんちな丸
1963年です
https://jp.youtube.com/watch?v=rBsj2FCtoUk&feature=related
このデジログへのコメント
日本で始まる辛い生活を思って衝動的に…?
子供の命を奪わなかったのは、せめてもの救いかもしれません
roseさん、何時も有り難う
ブラジルでの生活の方が辛いのでは?
それより、ご主人を裏切ったと考えるのが無難と思いました
本人以外は分かりませんよね
私が送っていったのに、乗っていたんです
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