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追憶の入院生活 1

2006年02月24日 18:59

毎日の入院生活で、特に変わったことはおこらないので、『追憶の入院生活』では、昔あった入院生活での出来事(ここで書けるような)を書いていこうと思う。

私は一度だけ恋をしたコトがある。
通常私たちのような人をふつうのひとは愛してくれない。私たちのことを人生においてのお荷物に思うということが、まず一つ。
やっぱり、人生では普通のカップルがするようなことはしたいと思う。それは私たちには叶わないことで、それは普通の人が私たちを恋人としてみるときに一番忌み嫌うことだった。
私の場合はプール遊園地にいけないし、心拍数が上がるようなことはできない。
プールなんかは、体を見せられない。無数の手術に耐えた傷と、点滴や注射のあとが、どんなに親が「それはがんばった証!!」って言っても、晒す事なんてできなかった。
心拍数を上げてはいけない!!・・・そう言われたら、どのくらいのことがダメだって言われるだろう・・・。どのくらいのことがだめだっていわれただろう・・・!!

こんな私が今までの人生でたった一度だけ恋をしたのも、やっぱり病院内の、病人だった。

私たち病院内の病人たちは、お互いの病気について聞くのはタブー視されている。軽い、それも一度手術してしまえば退院できる人ならば、聞いたって問題ないのだけれど、聞くときは勇気がいる。
それによって、私は彼の病名を知らない。

彼の病気は、体の肉と呼べる場所が成長せず、骨だけが成長する難病である。背筋は曲がって、背は異常に低かった。体が常に曲げられていて、内臓などにも大きな影響を与えているらしく、心臓発作や何が起こったかわたらない急変は日常茶飯事という人だった。
彼に対する第一印象はただ、怖いだけだった。どう接していいかわからない、常任のそれとまったく同じもの。隣の個室病室に入った彼を私は腫れ物に触るような扱いしか最初はできなかったと思う。

彼に出会って二日目。
彼は読書をしていた。ベットに寝そべって(彼は座ることができないから)、分厚い本を読んでいた。そのときの本が、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』でした。
『果てしない物語』は私が大好きな本(持ってはいなかったけど)で、彼はミヒャエル・エンデの大ファンなのだといいました。

それから私は彼の病室で毎日過ごしました。彼はベットの上から自分で起き上がることはできなかったから。
彼の部屋で毎日していたことは、いつも一緒に読書して、お互いに感想を言ったり、本を貸しあったり、それだけでしたが、とても充実した日がすごせるようになったと思いました。

彼と出会って18日後。彼は突然急変しました。
酸素マスクをつけられ、心臓の辺りをかきむしるため、手をベットにくくりつけられ、大きな機会や何人もの看護婦さんやお医者さんが出入りしました。
レントゲンを撮られ、注射を打たれ、鼻からの天敵、無数の管が体に通されて・・・それでも慌しく病室を出入りするお医者さんたちは動きが止まることなく、30分くらいたったころ、「ピー・・・」と病室に音が響き渡って、それはずっと鳴り止みませんでした。
私の手にはそのとき無意識に握った彼の手の、爪の跡がくっきりと残されました。

その後、私は発作を起こしたらしく、落ち着いて酸素マスクが外れ、病室から出られるようになったのは4,5日が過ぎたころでした。
その頃には隣の病室は空で、何事もなかったように日が過ぎていって、彼のことは夢だったかのように思えてきました。

私が病室から出られるようになって、2ヶ月くらいあと、私宛に病院のポストに分厚い封筒が届きました。宛名は彼の姓に知らない名前・・・きっとご両親のどちらかでしょう。
封筒を開けると、ミヒャエル・エンデの『果てしない物語』とご両親の手紙が入っていました。
ご両親の手紙は『これはあなたに差し上げます。』と短いモノでした。
なんとなくページをめくると、裏表紙の内側に彼の私宛の手紙が書かれてありました。

『この手紙をあなたが読むことがあるでしょうか、わかりません。
でも、僕は余命1ヶ月、もうすぐ死んでしまうでしょう。それは変えられません。
ですから、ここに僕の遺書を残します。
あなたが好きだったこの本に。

僕はあなたに出会って、たった一日で好きになってしまいました。おかしいですか?でも、僕の代わりにこの本を持っていてもらいたいです。僕が生きていたことを、あなたに憶えていてもらいたいです。

初めて書く、最初で最後の遺言になるでしょう、僕をどうか忘れないで。僕のこと、忘れないでください。

9月7日 (彼の名前)』

私は今でも本当に恋だったか聞かれるとわかりません。
でも、彼には間違いなく私への愛があって、私も今でも彼に大事にしたい特別なキモチがあることは確かです。
彼が亡くなってから気づいたこの気持ちが恋であってもいいと私は信じています。
恋でありたいと、思っています・・・。

このデジログへのコメント

  • エンドウ 2006年02月24日 23:47

    恋とは一般的に異性への感情ですが、広義では万物に対する思慕をさします。交わした気持ちは誇りですよ。

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