- 名前
- あおい
- 性別
- ♀
- 年齢
- 39歳
- 住所
- 茨城
- 自己紹介
- あおいもバツイチになってしまったの。4年ぶりに再登場よ。 誰かお相手してくださいな。。
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あおいさんのウラログ一覧
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2016年05月10日 07:03
戦国時代は兄弟も相争う時代でした。太田を本家とする佐竹氏もまた兄弟で争っていました。部垂城主の佐竹義元が、本家を継いだ兄の義篤と対立し、享禄2年(1529)のころから,その争いは12年間にもわた... 続きを読む
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2016年05月09日 05:49
常陸大宮市下村田に「雪村筆洗いの池」と伝えられる泉があります。 室町時代雪村は、この地の坪井というところに住んで いたので、坪井雪村と称したと言い伝えられてきました。 雪村は,水墨画を大成した雪... 続きを読む
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2016年05月08日 07:55
鎌倉時代のこと、常陸大宮市北塩子に横山甲斐守蔵人という武士が、立派な館を構えて住んでいました。甲斐守は武道にすぐれ、村人たちの信望も厚く、「お館様」と慕われておりました。しかし、酒好きのため、失... 続きを読む
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2016年05月07日 08:37
鎌倉時代のことです。弁円という山伏が、佐竹氏の招きで塔の尾(いまの常陸大宮市東野)に来て、道場を開いていました。 弁円については、前関白忠通の子どもで、幼少のころ出家して三井寺にはいり、播磨坊弁... 続きを読む
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2016年05月06日 07:37
南北朝時代のことです。白石志摩守宗義という武将が、常陸大宮市上岩瀬に館を構えていました。志摩守夫婦には子供がなかったので、下岩瀬にある岩瀬明神に七日七夜参拝し、 「どうぞ子どもをお授けください。... 続きを読む
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2016年05月05日 06:04
むかし、大里(いまの常陸太田市)に、たくさんの金銀や土地を持つ長者が住んでいました。人びとはこの長者を万石長者と呼んでいたのです。 そのころ奥州征伐に行く八幡太郎義家が、長者の屋敷に泊まりました... 続きを読む
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2016年05月04日 08:01
むかし、日本武尊が東国征伐に来られたとき、今の常陸大宮市東野の法専寺付近で休まれました。 そこに、きれいな泉があったので、尊はその水をお飲みになったのです。 すると、水の底に玉のような小石が輝い... 続きを読む
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2016年05月03日 07:38
常陸大宮市東富から姥賀の坂にかかるところは、久慈川の清流と広い田んぼを見下ろす、すばらしい景色です。 最近、道の駅もオープンしました。 そこは桜本とも呼ばれ、多くの桜の木が植えられ、桜の名所とも... 続きを読む
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2016年05月02日 06:15
室町時代のことです。現常陸大宮市の辺垂(へたれ)城主であった佐竹義元が本家と争って滅びました。その家来に大へん力持ちの小林大炊介という武士がいましたが,城が滅びたあと、辰ノ口に百姓となってすんで... 続きを読む
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2016年05月01日 06:54
むかし、常陸大宮市塩子に蟻の大群が現れて、穴を掘りはじめました。蟻が穴を掘るたびに土が積み上げられ、大きな塚ができあがりました。 村人たちは驚きました。 「よくまあ、こんな大きな塚をつくったもん... 続きを読む