- 名前
- 亜樹-aki-
- 性別
- ♂
- 年齢
- 58歳
- 住所
- 岡山
- 自己紹介
- 50歳超えての擬似恋愛。。 勃たなくなったから相手を思いやる愛撫ができるようになった...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
ロッカーとホストと浮浪者(2/3)
2005年11月24日 18:08
アタイの行ってるパーティーがHP作るので、手伝いしようと思って、「大人のパーティ」シリーズ休止してるのに。。横浜出張だぁ!!!まだ見積もりできてない!やばいやん!!ここのブログは今日と明日分のはあるから。。。って、本業より段取りいいやん!という訳でつづき。。。
アタイが福岡から東京に引っ越したのが、1986年(昭和61年)4月。
ラウドネスが代々木オリンピックで2DAYSやった日。荷物片付けないで、
手伝いにいった記憶がある。
この時、アタイも所属事務所も借金があった。。。まずは音楽活動の仕事先と住むところは確保できたが。。。先立つお金がない。。。昼は楽器屋と牛丼屋で働いて、夜は新宿歌舞伎町で働いた。。そうホスト。。。
ホストというとドンペリ開けて!「せぇの。。。」じゃない。
お客さんも若い人はいない。。梅宮辰夫が新宿で高級ホストクラブをやっててその流れが濃かった。。極端だがヒールでお酒飲んだり。。水溜りがあると、背広のジャケットで覆ったり。。ホストのアフターは夫人のお送り。。決まってキャデラックだったのを憶えてる。。高級時計と高級外車と白いスーツ。。。
それがホストの象徴といったイメージの時代。といってもこのイメージのホストクラブばっかりじゃない。
「ローズルーム」。記憶の片隅にあれば。。。あなたはきっと。。。
高級ホストクラブは、たとえお金持ちでも一見さんはお断り。。また、指定制でその人がこないと、1人で飲まなきゃいけないときもあったらしい。
その高級クラブの下の階にあったのがアタイの行ってたホストクラブ。高級クラブで欲求が満たされるどころが、逆にストレス溜まったご婦人が、思いっきり発散できるクラブとしてあった。飲むところはいたって普通。。。
(赤いライトで全体が暗かったからやっぱ怪しいか。。)
その部屋の真ん中に、公衆電話2つ分くらいの箱がある。ご婦人は1輪のバラを買い、ホストをその中へ誘う。。30分間その中で何をしても、お店は感知しないシステム。アタイ暗かったんだ。。痩せてて。。借金があったので余計。
だけど、ご婦人の方はみんなやさしかった。。アタイに対しては。。
20歳と若かったのもあるけど。。その箱からたまに罵声があったり、悲鳴があったりしてたけど。。アタイは痛い目も会わず日々過した。。
写真はホスト時代の頃の写真。体重は今の半分かな。。。
(つづく)
このウラログへのコメント
なんかすごい世界。。
読んでてドキドキしました。
コメントを書く