- 名前
- mikiko-舞鶴
- 性別
- ♀
- 年齢
- 67歳
- 住所
- 福岡
- 自己紹介
- MにもSにもなれる経験豊富な熟女です。 大人なので少しのことでは怒りません。 仕事は...
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思い出
2018年08月12日 10:31
わたし自身は、浣腸に対しては相当な嫌悪感を持っているつもりですが、わたしの周りの方たちは、わたしに浣腸をしたがります。わたしが嫌がるからだと言われますが、たかが浣腸と思って、我慢しても、嘴管が入ってくるといろんなことが頭の中を駆け巡って、とても落ちついていられません。我を忘れて、パニックになってしまいます。そして、もっとも見られたくない排泄姿を晒してしまいます。
そういうわたしが浣腸小説を書いています。経験や感情を含めて、読んで頂けると嬉しいです。
あれは私がまだM美大の学生の時でした。その頃私は、彼と同棲をしていました。三年生の冬、工場の軽作業のバイトをしていた私は、痔を悪くして4,5日寝ていました。お尻が痛いので、トイレにもいけず便秘状態が続いていたのです。そんな時に先輩が、お見舞いにきてくれたのです。
その先輩は男勝りの人で、部屋にくるなり大きな声で「美紀子どうしたの、バイト休んでるそうじゃない。どこが悪いの?熱があるの?」とたずねるのでした。私は彼の手前返事ができず「…………」と小さく答えるのですが、彼が「こんな調子で、よく分からないんですよ。病院はいやだというし、トイレにも行ってないみたいだし。」と言って台所に行ってしまったのです。
先輩は「なんだ便秘か、薬を飲めばいいじゃん。」と簡単にいうので、先輩の耳元で「お尻の穴の痛くて便秘になった。」と言ってしまったのです。「それなら、浣腸して便秘を治さないともっとひどくなる。私がしてあげる。」「恥ずかしいから、自分でする。買ってきてください。」「そう言えば、私も美紀子に買ってきてもらったわね。今日は彼に買ってきてもらいましょう。こうちゃん、美紀子、便秘だったの。浣腸すれば治るから買ってきて!」といったのでした。
彼が買い物に行っている間先輩は私の頭をなでてくれ、私も少しの安堵感を味わっていました。しかし、彼はなんと50ccの浣腸器とグリセリンを買ってきたのです。聞くと「よく分からないので、自分がよく便秘をして今もしているように答えたら、薬屋さんがこちらがお徳ですよ。」と薦めたので買ってきたと言うのです。先輩は、「これじゃ、自分でするのは無理だね。私がしてあげる。」ニヤッと笑うのでした。
それから先輩は「こうちゃん、薬をぬるめのお湯で半々に薄めて、ティッシュと下に敷く洗面器に新聞紙を入れて持ってきて!」とてきぱきと指示するのです。後で聞くと先輩は「私、少しレズッ気とSッ気があって、美紀子をいじめてみたかったの。」と言っていました。しかし、このとき私は恥ずかしさで、頭が真っ白な状態でもう先輩の言いなりでした。「美紀子、四つん這いになって、お尻を突き出してごらん。」先輩の言うとおりの格好をすると先輩はパジャマのズボンとパンティを一緒に下ろして、私のアナルにオロナインを塗り、浣腸器を突き立てゆっくりと注入を開始したのです。
それからは、私は地獄の苦しみを味わい、人には見せられない恥をさらしたのです。先輩が「10分ぐらい我慢しなさい。」と、アナル押さえているのですが、すぐに猛烈な便意を催し、「お願いトイレに行かせて!」「もう少し、我慢しなさい。」「お願いします。」「ダメ!今出すと、薬しか出ないから。」と許してもらえませんでした。
私も寝てばかりいたのと、お尻の痛さで余り抵抗できず、3,4分が過ぎたときにとうとう洗面器に漏らしてしまったのです。猛烈な匂いの中、先輩は後始末をしてくれて、アナルをお湯で洗って軟膏を塗ってパンティをはかせてくれたのです。
先輩とはその後、1年間一緒でしたが、ヌードモデルをさせられ2,3度キスをしたぐらいでした。先輩が帰った後、浣腸されている間、彼の股間がはちきれそうに盛り上がっているのを知っていた私は、彼のチンチンを何度もフェラしてこの恥ずかしさを忘れたのでした。遠い昔の思い出です。
このウラログへのコメント
今では良い思い出であることを祈ります。
学生のころから浣腸が身近な存在だったんですね。
想像しながらログを読んでいたら、美紀子に浣腸したくなりました。
そういう風にさせるフェロモンがあるんですね、きっと。
光景を妄想して、以前AVで観たのとダブッてしまいましたわ。。
堯絶な光景が浮かびますわ
今は並みのドM調教されて楽しんでいるのでしょうか
また、ログを拝見したいです
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