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- 我ハ墓守也。
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雨の夜
2018年06月05日 22:45
こういうしとしと降る雨の夜は良くない。
色々と思い出してしまう。
雨ならざーざー降って欲しい。
ざーざー降って、思い出したくない記憶を洗い流して欲しい。
しとしと。ざーざー。
日本語では「擬音」と呼ぶ。
しかしこれは日本語特有ではなく、英語ではonomatopoeiaと呼ばれ同じ使い方をする。
でも比べてみると、英語のonomatopoeiaに比し日本語の擬音の多彩さ、精密さ、coverageの広さ等々、先人の知恵を思い知る。
古来、我が国では「言霊」を信じ、そこに神聖を見、その延長に「擬音」があったんやろうと思う。
雨の音に溶ける意識。
不思議な浮揚感覚。
いや、これは自らの存在が消される感覚か。
水に流す。
古来より人はそう言う。
そして我が国では流れ行く先は海。
人は海に還る。
雨の夜は良くない。
このウラログへのコメント
梅雨入りはいつなんやろ。
今年の5月は異様に雨が多かった。
既に梅雨のようでもあり。
今年の夏は暑くなるんやろか…
雨も降らないと作物が育たないからね。
擬音語擬態語が豊富なのは日本語の特徴なんでしょ?
エスキモーに雪の表現がたくさんあるように
日本人に必要な言葉・表現だからこそずっと遣われているんでしょうね。
前は雨の日は、苦手だったなー。
暗い気持ちになったもの。
今は少し、楽しめるかな。
やだなー、って口に出さなくなったからかも。
旦那がいるとそうもいかなかったけど、一人になったら言わないなー。
確かに擬音語によって、雨の様子が見てなくてもある程度イメージできるのは日本語の良さかもしれな。
古の高貴な女性たちは外を見ることも出来なかったから、同じ言葉を繰り返すことで語呂もよく作れたのかなぁ。
> masagoさん
エスキモーの雪を表す言葉の数の話は調べるとMargaret Atwoodというカナダの作家が“The Eskimos had fifty-two names for snow
> masagoさん
because it was important to them: there ought to be as many for love”と言って広まったみたいやね。その数に
> masagoさん
ついては諸説あれども40以上はあるらしい。やはり雪の中で生活するとその部分の語彙が発達するのは自然なことなんやろうね。対して日本語には雨を表す言葉が40以上あるとされる。
> masagoさん
日常的にそんなに多くの使い分けをする訳ではなかろうが、それだけの蓄積をして来たのは誇るべきやろうね。
おりしも梅雨。貴姉の言葉通り雨が降らねば作物が育たない。雨も楽しみたいね。
> まかなさん
雨の夜を楽しめるとは素敵な心の余裕やね。わしはあかんわ。どうも後ろ向きな気持ちになってまう
それとも何か怖いんやろか。流されて行きそうな感覚? 溺れかかったことがある訳やないのにね。
> ☆mina☆さん
わしは今でも苦手。苦手ではないかも知れんけど少なくとも嬉しくはない。楽しむ気持ちには遠いわ
わしは良く小声で悪態をつくけど、あれが良くないのかもね。ちょっと慎むわ
> ☆あねもね☆さん
昔の位の高い女性は外を見れんやったの? そうか、ずっと奥の院で見られるのは中庭くらいやったんやろうね。
擬音語は自然に対する畏怖、敬意の表れやったのかもね。
> ☆あねもね☆さん
八百万の神々がいるとすればその連想は自然やろ?
言葉の話は面白いね。ちょっと検索したらまた読みたくなる。
ええ週末をね。
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