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気持ち悪いに決まっとろうが
2016年05月31日 23:40
この記事、タイトルは以下の通り。
「子供が親を「呼び捨て」「ちゃん付け」 そんな親子は「気持ち悪い」か」
http://www.j-cast.com/2016/05/29267734.html
ヤフーニュースでも紹介されておりましたが元はこの記事?
しかし、この場合元の情報源はそう重要ではありません。
わしね、寒気がしました。世の中に、そんな親子がほんまにいるのか? と。
実際に見聞きするまでは信じ難い事象ですが、これを事実として話を進めましょう。
親が、我が子に名前で呼ばせる。それも呼び捨てにさせる。
この倒錯は何処から来るのか?
答えは明らかです。日教組教育です。
コミンテルンが指導した我が国の教育現場に於ける共産主義は権威の否定、万人平等等の思想により徹底して子供達を洗脳しました。結果として「平等」なんやから先生も自分達も同じ、と子供達が考え学級が崩壊したのは正に日教組の狙った効果やったに違いありません。毛沢東が文革でやらせたのと同じことが我が国でも展開された訳です。
わしはこうした根拠のない平等思想に身の毛がよだつ嫌悪感を覚えます。世の中に「平等」ほど現実から遊離した、単なる空想の産物である思想はないと考えます。
反論がある方は教えてください。世の中の何処に平等がありますか? 人間の才能は平等ですか?容姿は平等ですか? 持って産まれたものは平等ですか? 世界にはそうした部分を平準化するために子供を両親から引き離し、施設で一括管理して育てる考え方がありますが、それで物理的な不平等が緩和されたとしても、そこにいる子供すべてが平等になるのですか? 子供たちが持って生まれた性格や理解力等の部分を平等にする手段はあるのですか?
わしはね、この不平等こそが人を人たらしめるものやと思います。人それぞれ違う。それを受け入れる。そこから個を尊重する心が生まれる。違いますか?
かつて我が国では、コミンテルンの指導に忠実に従った文部省の役人が「ゆとり教育」という歴史に残る愚策を実行し国益を大きく損ないました。そこにあったのは「平等」を推し進め「出来のいい子供」が出来の良いままでいることを許さず、出来の悪い子供のレベルまで引きずり下ろして強引に「平等」を達成する、という歴史的な実験でした。誰も指摘しませんが、今の日本企業が世界で凋落の憂き目に遭っているのはこのことと無関係ではないでしょう。「ゆとり世代」は「使えない」のです。当然です。文科省がそういう大人に育てたのですから。彼らに責任はありません。
話がずれました。わしが言いたいことはこうです。社会に平等などありません。権利としての平等はありますし、そうであるべきですが、人間を含め動物は「リーダー」と「フォロワー」に分かれるように出来ています。それが自然な姿なのです。リーダーになれるのはごく一部のエリートです。戦前の我が国はこのことを正しく認識していたが為にそれに応じた教育システムを作り機能させていました。結果として国力は増大し国は栄えたのです。
エリートを認めるということは、非エリートの存在を認めるということと同値です。非エリートはフォロワーでもありますが、中にはフォロワーにすらなれない構成員が生まれるのもまた当然です。そうした弱者に対し、救済策を講じて置くことも「平等」を否定して初めて到達する思想ではありませんか。今の生活保護制度がちゃんと機能していないのは悪しき平等思想の故にそうした制度を受けることは恥という感覚が生まれ、本来であれば受給すべき層にそれが届かない、という一面があるのは否定出来ない部分でしょう。
さて。
長々と平等の話をして来ましたが、わしが言いたいのはこの「平等」という概念が如何に人工的な、空想の産物であるか、ということです。しかし、日教組教育を真に受けて育った世代にはそれが分からない。
結果として自分の子供にちゃん付けや名前、呼び捨てで呼ばせる、という倒錯した行為が人口のある程度で生じる、という事態になります。「平等」なんやから「親」も「子供」も「平等」で何が悪い。恐ろしい考え方です。こんなことが人口の一定数で行われた社会が世界史上に嘗てあったかどうか、知りたく思います。
子供から見ると、自分と「同格」の親に何の意味があるのでしょうか? 悪い人が来たら一緒に被害者になるつもりか? 食卓に食べ物を並べたり、住居を用意したり、教育を受けさせたり、安全を保障したりといった親の責務を一切放棄する宣言か?
成長期の親と子は上下関係で当然であり、それ以外はあり得ません。親は指導し、施し、与え、風雨を凌ぐシェルターを提供し、飢えぬように継続的に食物を提供し、教育を受けさせ、病気になれば治療を受けさせる義務があります。子供はそれを感じるからこそ安心し、日々を落ち着いた感情で過ごし、他者への思いやりを学び、社会生活を学び、社会の中での自分の居場所を覚え、やがて社会の生産的なメンバーの一人として旅立てるのでしょう。
それとも、訳も分からず外国人の真似をして喜んでいるのでしょうか?
何れにせよ、何とも暗澹となるニュースでした。
我が国はここまでコミンテルンに侵食されたか…
このウラログへのコメント
同感です。
平等と同時に浮かぶ言葉が、『普通』なんですが。
この世に平等も普通もありません。
おかしな時代になったものです。
末恐ろしいです。
> ☆mina☆さん
お~。賛同してくれるか。ありがとう
今の我が国は衆愚政治そのもの…2009年7月に小沢一郎率いる民主党が盛大なバラマキをぶち上げ有権者多数を騙して政権を盗んだのがその最たる例
> ☆mina☆さん
政治がそうでも国民がまともならええんやけど、モンスター何々が増えるばかり。何故、日本人の民度はここまで下がってしもたのか
普通考えて教育が悪いよね。日教組に洗脳されたままの
> ☆mina☆さん
世代が親になり子育てに失敗する。この子供と友達になろうという発想が既に気狂いであることが分からない。ほんまに嘆かわしい
でも今日の安倍の記者会見もウザかったわー
まぁ~すげぇ~飛躍的な発想やけど、正論やわね
> masagoさん
わしは見てない。いくらヒーローでもいつもカッコ良く決める訳にはいくまい
> masagoさん
わしは見てない。いくらヒーローでもいつもカッコ良く決める訳にはいくまい
> イ・ボミさん
そうやろ?
理解いただき恐縮です
わしは日々、危機感と共に生きている…と言いつつ何も行動してない。これでは国は亡びるわ
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