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欺瞞ツールとしての「平和憲法」
2015年01月19日 01:19
皆様、ええ日曜の夜を過ごしておられるでしょうか。
わしは色々考えることがありログを書いております。
今の世の中、「平和」と感じる人は少ないでしょう。
先週はパリで大規模なテロ。それに連動して欧州、アフリカで多数のテロが起こりました。
そしてシリア、イラクでの戦闘状態はもう何年続いているでしょう。
アジアに目を転じれば、どうしたことか我が国では報道されませんが、中国内陸部、ウイグル自治区、チベット自治区では抹殺されつつある民族が共産党政府相手に決死の抗議活動を行い、ガソリンをかぶっての焼身自殺他、目も当てられないむごたらしい方法で政府への異議を表明しています。(普通にデモが出来ないのは共産党政府がそれを「テロ活動に当たる」として認めないからです。)
しかし。
「平和ボケ」という言葉があります。わしはね、この言葉、実は思った以上に根が深いのではないか、と最近考えるようになりました。そしてその「根」は、実はピンポイントで指摘できるのではないか、と思います。
その「根」とは、ズバリ日本国憲法第九条です。
我が国が戦後、米国製の新憲法を押し付けられ、そこに含まれた「国家主権の発動としての戦争の永遠の放棄」という条項に拠り、半永久的に思考停止に追い込まれました。
それは、新たに我が国を支配下に置いた米国が「こんな黄猿どもの小国、開戦すれば瞬間的に息の根を止めてやるわ、楽勝~」と高を括っていた我が国に思わぬ大苦戦を強いられた第二次世界大戦時にこんな奴ら根本的に作り変えんといつまた立ち向かって来るか分らんわ、こうしてやれ、という動機でシステムに組み入れた毒薬そのものです。
そうした意図を理解せずにその毒杯をまともに呷ってしまった人達の多くは思考停止に追い込まれました。また共産主義を信奉する人達(因みにこの憲法成立時には日本共産党はこの九条に反対しています。当時は共産党にも国を思う心があった訳です)、念仏を唱えれば願いは必ず叶うという信仰を持っている人達がそれに飛びつき、モーゼの十戒の如く恭しく拝み奉って来て今日に至ります。
日本国憲法第九条。
全文をここに掲げます。
(引用)
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
(引用終わり)
これを読んで、皆様どう思われますか?
わしはね、米国人が作った草案を日本語に翻訳した人が意図的に仕組んだことなのかずっと不思議に思っているんですが、この最後の「これを認めない」という部分。
これは一体、「誰」が「誰」に対して「認めない」と言っているんでしょう?
憲法学者の倉山 満先生はこれを「マッカーサー」が「日本国民/政府」に対して「認めない」と言っているんだ、と喝破しておられます。(http://nikkan-spa.jp/630898)
ウィキペディア「日本国憲法第九条」の項を読むと、この部分の原文は
"War as a sovereign right of thenation is abolished."
となっています。
この原文が元になり、受け手の我が国側のブレイン達が主権国家としての体面を何とか保てる内容にするべくそれはそれはぎりぎりの交渉を重ねて今の形に落ち着いた、ということのようです。
原文と現状の条文を読み比べて、違和感を覚えるのが普通の感覚でしょう。原文ではAbolishする動作の主体は明らかに日本国です。それが現行の条文では「認めない」と日本国が結論を与えられる形になっている。このすり替えはどういう事情で起こったのか?
「認めない」という明らかにおかしな言葉遣いが固定化されたのはマッカーサーの意思だったのか、それとも彼がそこまでこの条文を理解していたか、わしは知りません。
しかし彼の意図でないとすれば、これはこの作業に当たった我が国の当時のブレインやった人達が、国民に真意を伝えようと残した苦肉の策のように思えます。
憲法論はこの位にして。
わしはこの憲法が我が国の大多数の善良な人達に「平和」という幻想を与え、思考停止に陥らせたことがどれだけ異常な言論空間を作り出したか、ということに思いを馳せざるを得ません。
そもそも「戦後」という言葉が欺瞞です。我が国では通常第二次大戦後の意味で使われる言葉ですが、この言葉にはこの先、もう戦争は起こらない、というニュアンスが含まれます。
言語感覚に優れた小説家の先生方はこの点を鋭く感じ取り、警鐘を鳴らしていました。開高 健先生がテレビで「その戦後という言葉、止めようや」と言っておられたのをわしは覚えています。
我が国がこうした思考停止作戦を全面的に受け入れ、精神的鎖国を続けている間に、隣国では何が起きていたか。
毛沢東は何と言ったか。
「平和とは戦争と戦争の間の期間のことである。」 (毛沢東語録)
これが世界の普通の感覚でしょう。
我が国は、米国が残した毒薬に全身を犯され、その普通の感覚を無くしてしまったのです。
本来であれば子供達を啓蒙し、導かなければならない立場の公立学校の先生方が日教組という狂った共産主義団体の指導の元、自らを堂々と「労働者」と宣言し、子供達に「日本はこんなに悪い国です。今までこんなに悪い事をして来たんです。あなた達の存在価値は未来永劫、迷惑をかけた国々に謝り続けることしかありません」と洗脳されるのです。
これがどれだけ異常で、常軌を逸した許されない行為であるか、当時の学校教育を受けた人なら共感いただけるでしょう。
(貴女に自覚がないとしても、自覚的に解毒剤を服用しない限り、貴女は洗脳されています。それが教育を通じた洗脳の恐ろしいところです。)
その組合員の先生方が口を揃えて絶賛したのが日本国憲法第九条です。
その全文は既に掲げた通りですが、これを読んで納得する人がどれだけいるのか、わしは知りたく思います。
平和。戦争の無い世界。
そんなものが実現すればどれだけ素晴らしい事でしょう。
当たり前の話です。誰も銃弾に当たり死なずに済むんです。子供達が犠牲になることもありません。
しかし、世界の中で我が国一国がそう宣言して「軍備を持ちません。だから攻めて来ないでね」と言ったところで、どんな意味があるんでしょうか?
それがどれだけ異常で、自己満足、自己欺瞞の宣言であるか、まともな判断力を持つ人ならたちどころに分る筈です。
この条文が意味を持つ世界があるとすれば、それは世界の全国家が同意し、同時に軍備を放棄した場合のみです。
それがどれだけ現実味を持たない空想か、説明の必要はありません。
そんな現実は見ようともせず、この憲法は我が国一国が「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と宣言したのです。
これは、国家としての我が国が「先の戦争に負けました。責任を取り、我々は未来永劫武装解除します。家畜/奴隷国家として米国様に隷従しますのでどうか大目に見てやってください」と頓首して許しを請うている姿です。
その屈辱的でしかない姿を、米国は巧みに「平和」という言葉でシュガーコートし、我が同胞を永遠の思考停止に追い込もうと画策した訳です。
我が国の善良な人々は「平和憲法」に酔いました。そう、日本は平和になったんです、見てください、という心理でしょう。そうして復興に精を出した。結果として国は豊かになりました。それ自体は肯定されるべきことですが、その間世界から目を背けていた結果何が起こったか。
我が国がそうして自己満足に陥り、精神的鎖国を続けている間に、国外では何が起こったでしょう?
1950~1953年には朝鮮戦争が勃発。半島が一気に赤化されそうになり慌てふためいた米国は直接参戦しますが、自国軍が半島で戦争をしている間に手薄になった隙を突かれてソ連に日本が侵略されては大変、と米国は踵を返すように我が国の再軍備を容認します。(それは米国が日本を守りたいからではなく、戦略的に占領されては絶対に困る地理に日本があるからです)
何て勝手な人達、と普通は思います。しかしこれは国際社会では常識というべきでしょう。国際社会はどの国も冷徹に自国の国益を追求する場です。外交は食うか食われるかの銃弾の飛び交わない戦争、という感覚です。
その後も戦争は起こり続けます。
1960~1975年にはベトナム戦争。1979年、中越戦争。1980~1988年、イラン・イラク戦争。1990~1991年、湾岸戦争。2001年、米国で9‐11テロ事件。2003~2011年、イラク戦争。
大きな戦争だけを列挙してみてもこれだけあります。これを見ると、毛沢東はやはり慧眼であったことを認めざるを得ません。
つまり、我が国が「平和憲法」で高らかに謳い上げた「平和」とは、毛沢東が喝破したように「戦争と戦争の間の期間」に過ぎないのです。
それは外国の話であって、日本は平和だったでしょ? と言いたい人はやはり思考停止に陥っている、とわしは思わざるを得ません。
韓国は1953年に我が国固有の領土である竹島を不法に武装占拠し、今日に至るも自国領であると言い張っています。
中国は1971年に突如として尖閣諸島は自国領であると主張を始めました。その2年前まで自国で発行する地図にはっきりと日本領である旨を明記して発行していたにもかかわらず、です。(1970年に同諸島の地下に巨大な海底油田の存在が確認されています)
北朝鮮は1970~80年代、我が国の内外で数百人とされる同胞を拉致し自国に連れ帰りました。確かな証拠を元に警察が事件化しようとしても、当時の社会党は「でっち上げだ」と主張してそれを認めなかった。そんな人達に1989~90年の選挙では我が国有権者は大量に票を投じ、野党第一党にまで押し上げたのです。この辺り、北朝鮮の我が国のコントロールのうまさには脱帽せざるを得ません。
これらは明らかに我が国主権の侵害です。つまり、銃弾は飛び交わずとも明らかに侵略行為であり、拉致問題に関して言えば我が国が軍隊を派遣して拉致被害者を北朝鮮領土から連れ戻してもそれは国際法上合法とされる行為なのです。
これでも我が国は先の大戦後平和であった、と言えますか?
考えれば考える程わしは目の前が暗くなります。
こんな国に、誰がしたのか。
しかし、嘆いているだけでは能がありません。
表にも書きましたが、今はインターネットというツールがあります。個人がマスに向けて情報発信できるツールを、人類は遂に手にしたのです。
これを機に、正しい情報が国民に伝わり、流れは変わっていくでしょう。
既成メディアが実は大変に偏っていることに、全国民が気付くでしょう。
そのTidechangeは既に始まっています。
「平和憲法」が我が国に残された毒薬として毒を垂れ流し続けられる時代は、もうすぐ終わります。
皆様、ええ日曜の夜を。
余談・屍化しつつあるその憲法をノーベル平和賞候補に推薦する、という暴挙が昨年、一部の悪意ある人々に拠り行われましたが、審査する側は幸い、そんな嘘は相手にせず真に受賞に値するマララに授賞しました。
しかし。
これで終わりではなかったのです。わしは驚き、怒り、そして嘆息しましたが、懲りずに今年も同じことを始めています。
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/18/nobel-peace-capter9_n_6350942.html
http://japanese.joins.com/article/371/195371.html
聞いて驚け、という感じですが、何と韓国がこの運動を推進しています。
自分達は国を挙げて反日教育に奔走しておいて、我が国の内政にはこのように平気で干渉して来ます。
この厚顔無恥ぶり、真似できません。
このウラログへのコメント
> あまいさん
おお~同意してくれますか~!
有難うございます。書いてから「またつまらぬ物を書いてしまった…」という感じでしたが、一人でも共感してくださる方がいらっしゃれば時間をかけて書いた甲斐が
> あまいさん
ありました。
こんなものを有難がるのは、いい加減に止めたいものです。
ほんま、そろそろ目を覚ましなさい、と言いたい気分です。
これをノーベル平和賞に推す…そこに韓国が絡んで
> あまいさん
いる、というのはわしは今回、初めて知りました。なるほどね、と思います。
ここは対抗措置として、彼らの犬食文化を世界遺産に登録する運動を日本発でやってはどうか? と思います。
> あまいさん
あれだけ何でも自慢したがる、それも自国はまったく無関係なものまで自国発と言い張る国民性なのに、これこそ彼らの文化である犬食文化を宣伝する気配は一向にありません。彼らにしては
> あまいさん
珍しく謙虚です。まるで、世界に知られては困るかのようです。
そんなに恥ずかしがる必要はありませんよ、ほら、こうして世界に紹介しようじゃありませんか、と根っから親韓の朝日新聞辺りが
> あまいさん
声をかけたらどうでしょう?
うむ、我ながら名案。朝日新聞に投書しちゃおうかな~
ほんまに掲載されたりしてね。
平和とは何ですかね、核兵器を持ち表面的には平和だが裏では戦争ですね
いつか人類は無くなるでしょうね
> ☆saekoさん
毛沢東が言ったように、平和とは戦争と戦争の間の短い期間です。
やから戦争に巻き込まれない、誰も「日本は弱そうやから攻めてやろうぜ」という気を起こさないように、しっかりした軍備を
> ☆saekoさん
整え、法律を整備し、信頼出来る近隣諸国とは相互安全保障条約を結び、備えを固めなければならないのです。
考えてみれば当たり前の話しでしょ? 誰が好き好んで朝青竜の財布を盗もうと
> ☆saekoさん
しますか? 泥棒は隙がある、見つかっても大きな騒ぎにならなさそうな相手を選んで行動を起こします。国家レベルでも同じ。
平和、とは美しい言葉です。しかしそれを実現するためには、
> ☆saekoさん
力の裏付けがなければならないのです。人類史上、力の均衡無くして戦争の無い期間が保たれた例はありません。
全国民はその現実に目覚める必要があります。その意味で、あの憲法は
> ☆saekoさん
有害無益でしかありません。国民を思考停止に陥れ、現実を無視して「日本だけ平和であればええやん」という思想を蔓延させます。
「戦争を起こさせない。国民の生命、財産と国家の主権を
> ☆saekoさん
守る」ということが目的ならば、その手段が核兵器でも一向に構わない、とわしは思います。
世界で唯一、核兵器で攻撃された、という理由で「核アレルギー」を自称するのは余りに短絡して
> ☆saekoさん
います。自分達がこれだけ被害に遭ったから、という理由で憎むべきは米国であって、核兵器そのものを憎むというのは倒錯した心理です。
と、国家レベルの防衛を語ることは出来ますが、
> ☆saekoさん
人類がいつか滅びる、というのはこれもまた当たり前の話です。地球の資源は有限ですから、その資源を消費して生活している我々の社会が永続する訳がありません。
唯一、人類が生き延びる
> ☆saekoさん
可能性があるとすれば地球外に生活圏を広げた場合でしょうが、今の宇宙開発を見ていると地球外に移住できるとしてもその数はごく僅かでしょう。
その意味で、現存の資源が枯渇する日を
> ☆saekoさん
出来るだけ先延ばしする、という意味で省資源は大変に意味があると思うよ。
うむ。我ながらしっかりした論説を書いている。
これを読んでくれた人が何かを感じてくれてたらええんやけど…
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