- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- おまんこは神の秘術
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告白5
2014年05月13日 20:47
朝子の子供は無事に生まれ無事に育っている。女児であった。
母親は、子供の甲斐甲斐しい、女の別な生きる、喜びである。
生まれてきた女児は母親の愛情を全身に余すことなく、浴びる。
こーゆーときは、嬰児が一心に母親の愛情を必要としてるとき、
男は、ジャマである。鬱陶しい。
女はこのとき、男と嬰児がどちらが大事か、と聞かれれば、間違いなく子供である。
女の愛情にもはや、余地はない。
すると、自然、わたしは夕子との時間が増大する。
週1のセックスが週2になり、しまいには、頻繁になる。
出産から、2歳、3歳児まで子供は母親の手がかかる。
半年が過ぎる頃から、ハイハイ、1歳前後によちよち、立って歩けば、
あらゆるモノを口に入れよーとする、
母親は、寸部も気の休まることがない。
一日は重労働以上に、へとへとである。
亭主は、ジャマ以上になる。
私は朝子のこーゆー状態から、夕子と過ごす時間がどーしても多くなる。
むろん、妻の正子との生活も手を抜くことはない。
男の子供も4歳になる。
まだまだ、手がかかる年頃だ。
正子も、やっぱ、子供が生活の中心だ。
そろそろ、次子を仕込む時期だが、正子は、その気にならない。
こーゆー状態ではトーぜん、夕子が大きな比重を占める。
日中は大学の講義で、合間に、朝子で昼食を摂り、生まれたばかりの子供を見る。
講義を終えた夕方には、夕子と夕食をとる、
帰宅は9時前後だから、その間、ある程度の時間はとれる。
講義の合間の日中は朝子と、夕方のあるときは夕子とともに過ごした。
そして帰宅して9時以降は、まさによき夫で、正子の一日の生活を聞く。
きょうね、幼稚園で正夫がお絵かきが先生に褒められたのよ、
わたしに似てるのかしら、きゃっ
母親は息子自慢に屈託がない。
軽い食事を済まして、テレビを見ながら、夫婦の雑談を交わす。
これはこれで、夫婦として、やはり、大事な時間である。
正子との生活はかけがえない生活であることは事実だ。
と、同時に、日中に、昼食をともにする、朝子との生活も、同じ比重でかけがえない。
そのかけがえない生活が、もう一つ増えよーとする。
夕子である。
夕子とは今までは週一の逢瀬を楽しんでいた。
女と男の関係は、関係が深まれば、単なる、逢瀬とゆー訳にいかない。
むろん、夕子は朝子のこと、妻正子のこと、全部承知である。
しかし、正子は、朝子のこと、もちろん、夕子とは知るよしはない。
次元が違うのだから。
問題は、朝子と夕子だ。
かりにも姉妹である。朝子26,夕子は31。
夕子は27で結婚が破綻したバツイチで、子供はない。
いまは、31になる。
朝子の出産から甲斐甲斐しく手伝ってる。
とーぜん、子供に対する思い入れは、それなりのモノがアロー。
女と生まれれば、誰だってそーだ。
しかし、誰でもそーだが、全部の女に子供が行き渡るとはかぎらない。
子供とは、女にとって、分身とゆーより、
自分、である。
自分とゆー他人である。
この点男は、観念的に、自己の中に他者を内包してるが、
女は子供で自己の他者をみる。
子供がいて初めて、女は自己に他者の意味が、理解できるよーになる。
他者とは客観視であるから、
女は子供を通して自分が客観視できる。子供が鏡になる。
女とは子供に自分を見てる。自分が他者になった瞬間である。
わたしは夕子が、心の奥底では、子供を意識してる、感じた。
夕子の体を抱いてると、感じるのだ。
むろん、夕子はそんなことは、口にしない。
また、そんな、健気な夕子の気持ちに、揺れる。
あるときから、夕子にゴムを使うことはやめた。
夕子は、何も言わなかった。
進んで、受け入れた。
やっぱ、セックスとはゴムなし、中だしが本来の姿、だった。
夕子の愛情が、かつ夕子の対する愛情が、いつものより、倍以上に感じられた、
気のせいかもしれない。
愛情が濃くなった言ってよい。
夕子との中だしは、成算があったわけでない。
しかし、夕子の心の奥に潜む、ある何かに、思い至ると、
どーしてもこのまましておく訳にいかない。
それだけであった。
とーぜん、夕子は31,わたしはまだ、37だ、
いずれ、お互い健全であれば、妊娠出産に至るだろー。
すると、正子との生活、朝子との生活、そして夕子が、また家族に新しく加わる。
そして、夕子と朝子は実の姉妹である。
男冥利に尽きると言えば、聞こえはいいが、そんな、なまやさしいものではない。
フリンとゆーアソビなら、男冥利にも、つきよー、
しかし、不倫でなかったら、ドーなるのだろー。
家族が3つ持つのだ、そんじょそこらにあるモノでない、
出来心とはいえ、生やさしいモノでない。
不倫は女も男もイイとこ取りである。
ある意味、おたがい様である。
リスクは等分に背負わなければならない。
わたしのよーな、3次元家族は、等分とゆー訳にいかない。
なぜなら、子供がジョーカーとして加わってるからだ。
このジョーカーは、いずれ、神になるか悪魔になるか、化けるのだ。
愛情を全身に与えれば、間違えなく神になる。
不倫とはこのジョーカーを切って捨てるから、不倫になる。
わたしはジョーカーは切って捨てるのでなく、神にさせたい。
夕子には、むろん、ジョーカーなど、はじめから存在しない。
はじまから愛するわが子、分身、である。
夕子もわたしも、成算があって、中だしセックスに耽溺したのでない。
男は女で人生が変わる。
女も男で人生が始まる。
女の数だけいくつもの人生が発生する、
たいていは時系列に、時間の間隔があって、女と男は
違った人生のページをめくるのだが、
わたしの場合は、時間が同時並行に進んだことが、奇跡だった。
前から見ると昭和、後ろから見ると明治、横から見ると、平成
これが一緒になった、とゆーことである。
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