- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- おまんこは神の秘術
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告白3
2014年03月21日 17:46
夕子は何ごともなかったヨーに、甲斐甲斐しく朝子の世話をした、
フツーこーゆー出産の準備は、だいたい母親がうれしソーにメンドーみる。
夕子はバツイチながらも、子どもは5歳になる。男の子だからそれなりに手はかかるが、
3歳未満でないから手の係用は思ったほど出ない。コツさえつかめばすんなりいく。
後は、アルバイトで時間がとられるが、それがすめば、それなりの時間が空く。
アパートで息子と二人で住んでるが、二親とも孫カワイイさに、ほとんど実家で過ごしている。
寝るときだけアパートに帰る。
そんな生活であった。
息子は二親が、メンドーみて、朝子の世話は夕子がみるよーになった。
本人にとって、初産は何かと気苦労が多い、しかし、これとて経験したものにかかれば、
イヌネコでもやってるものだから、ドーってことない。
痛い、苦しいとゆー想像だけが一人歩きしている。
わたしと夕子のは何ごともなかったヨーに過ぎた。
出産が始まり、朝子は近くの産科に入院した。
5日か1週間で終わるだろう。
すると、わたしは朝子のアパートに取り残されたカッコーニなったが、
もう一つの顔、妻正子との生活が、隣にあった。
だから、朝子のいないアパートは意味がない。
しかし、わたしは夕子を待った。
必ず来るとゆー確信が、根拠がない確信がわたしにはあった。
夕子は来た。
こまごまと、部屋の片付けや朝子の衣類や雑用をして回った。
女の性である。
朝子は寡黙な女だった、そしてどちらかといえば内省的であるが、芯がしっかりしていた。
一口に言って、わたし好みだった。
朝子は、女に華があったが、夕子は翳りがあった。
ドーゆー事情か知らないが結婚生活に破綻が来して、
バツイチになるとはそれなりに理由があるのだろう。
しかし、そんなことはおくびにも出さない、気丈さがあった。
一人息子を抱えての生活は、元夫のわずかばかりの養育費では、取るに足りない。
見かねた実家の二親が孫を預かるとゆーコトで、いくばかりながらのカネも援助した。
パートをしながら一人息子を育てるとゆー夕子の健気さに、わたしは吸い込まれた。
先日、夕子のケツに入れたとき、夕子は拒否しなかった。
待っていたとは言い過ぎだローが、それが、不思議にわたしにはわかった。
だから、根拠のない確信が、夕子は来る、ソー思った。
朝子と研究室で初めて体を絡ませたとき、なんの罪悪感もなかった、自然にコトが進んだ。
夕子のときもまったく、おんなじだった、罪悪感はまるっきりナイ。
夕子とハメ合うのが自然のヨーにさえ、感じられた。
夕子とは、も、ムカシから知っているヨーな感じだった。
この前のケツに入れたときのセックスでは、何か、事務的にコトが進んだヨーだった。
朝子との初めてのセックスのときのヨーな青春の迸りはない。
大人びた寡黙なセックスと言っていいようなものだった。
今日は、おうちに帰るの?
夕子は言った。
いや、あなたを抱いてから、帰ろうと思う。
すると、夕子は静かに衣服を脱いだ。
産科から帰って午後6時が回っていた。
夕子の全身の裸をみるのは初めてである。
朝子はスレンダー気味だったが、夕子は豊満だった。
胸元にはボリュームがあり、ケツはもっとふくよかだった。
この前ケツから入れたときは、ケツのボリューム感は感じながらみ、一気の5分だったので、
それがどの程度かわからずじまいだった。
コトバはない、
夕子はわたしに跨がって、入れた。
何とも単調である。
行為は単調であっても、夕子のアタマの中は必ずしも単調とかぎらない。
次第に、呻きが漏れてきた。
今度は5分でない。
たっぷりな時間がある。
夕子はわたしに跨がってタダ、体を動かすとゆーしごく単調なセックスしたが、
時間の経過とともに、行為は単調でも顔の表情はかぎりなく複雑な形相になってきた。
同じ単調な運動でも30分が過ぎ、1時間過ぎると、
夕子は別人になった。
吐く息は荒く、動きはわたしを締め付けてきた。
夕子の腰がこわばって、膣の筋肉がわたしのペニスを締め上げる。
両手で盛り上がる臀部を支えてると、ケツの動きが波打っている。
も、限界を通り越している。
夕子はイッた、
わたしは快楽の責め苦から、解放された。
しかし、夕子は無言だった。
急いで衣服を着て、帰り支度を、わたしは始めた。
遅れて夕子も衣服を着た。
無言である。
しかし、意思は疎通している。
夕子とは、いつもわたしは思う、不思議な関係である。
コトバがいらない、のである。
こんなコトは夕子以外、ナイ。
こーゆー女もいるものだ。
わたしは午後9時過ぎに、自宅に帰って、正子の用意した夕食を、摂る。
そして子どもの話、今日一日起きたハナシを正子から、聞く。
わたしは飯を食いながら、正子の話を聞く。
そして、風呂を入って、床につく。
朝、大学に出勤して、二人の子どもと正子に挨拶しながら出る。
大学に行く前、朝子の産科によって、出産の経過を見る。夕子はまだきてない。
今日か、明日に分娩が始まるヨーだ。
そのときは、わたしは学校の授業で、いないだろー、
代わりに、夕子がいるだろー、あるいは実家の二親もきてるかも知れない。
しかし、正子にはいささかも、関係ない世界であった。
世の中には、次元の違う世界が、ときには隣り合わせになるときもあるのだ。
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