- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 41歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 精液を溜めすぎると身体に悪いという俗説があります。 実際には常に新しい精子が作られて...
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Women's Lib?
2005年06月05日 23:50
次第に暑くなってきました。
6月もまだ始まったばかりですが、最高気温が30度近くなる日もあります。
日中、室外に出れば照りつける日差しが皮膚を焼きます。
特に名古屋は高温多湿という日本気候の特徴を最も顕現した地域であり、その蒸し暑さは慣れない者にとっては息苦しさとも感じられることでしょう。
気温が高くなりますと、自然に薄着になっていきます。
夏の日差しの下で冬物の衣料を着用するなんてクレイジーですね。
厚い生地は熱を逃がさないため、夏日の元で上昇した体温により蒸し焼きになってしまいます。
加えて、冬着は重ね着が主であるためにどうしてもシルエットが厚ぼったくなってしまうので、視覚的にも暑苦しいですね。
ですから、夏はスタイリッシュなTシャツ一枚で極めるのが格好よかったりします。
薄着は清涼感がありますが、ひとつだけ弊害があります。
下着のラインが浮き出てしまうことですね。男性には縁のない悩みですが、女性の場合は気になる部分があるように思えます。
しかし近年は下着すらもファッションの一部となっていますので、むしろ好都合なのかも知れません。
ただ、男性的な観点から言いますと、ブラジャーやショーツのラインは動悸を早めるものです。
直接見えているわけではありませんが、むしろその半端さが想像力を練り上げる要因となり、結果としてどきっとしてしまうのでしょう。
男性の性欲はメンタルに頼る部分が大きいですから、これは当然といえるでしょうね。
さて、貴方の背中にブラ線が・・・というのはありふれた出来事ですが、日本においてノーブラというのはあまり見受けられません。
単純に部位として捉えれば、乳首は男女ともに備えているものであります。そこだけをとれば女性だけがバストを隠すのは不可解です。
ですからそれに沿うならば、男性がプールや海あるいはスタイルとして堂々と乳首を見せているのと同じように、女性も乳首を見せても問題ないわけです。
しかしノーブラは一般的ではない。
それは恐らく、戦後に普遍化した洋装の習慣が生活意識の中に深く浸透し、不動のものとなってしまったからなのでしょうね。
そんなわけで、ノーブラは一般的ではないのですが、今日は素敵にもノーブラで街を闊歩していらっしゃるご婦人を見かけました。
大きなお碗型の膨らみが白地のTシャツを押し上げて、その盛り上がりの頂点には形の良い乳首と乳輪が透けていました。
更に薄い生地のものであるようで、全体的に透けています。白い服なのにトーンとしては肌色がかっていてエロティックです。
日本人離れしたスタイルのよさが相まって、もうすごいことになっています。
もはやテロですよ、テロ。ジョイトイです。
まあ、欧米人の方でしたのであまり不思議はないのですけどね。
向こうではそういうことに関しては日本と比べて開放的といいますか先進的といいますか。
日本は先進国のカテゴリーのうちにいながらも、結局は何かしらの享受を受けるという形が常ですので後手後手に回りがちかと思います。
そういえば、女性解放運動の一環として「ブラジャーは女性を縛り付けるものだから外すべきだ」というような主張があったはずです。
事実、60~70年代において先進国で起こった女性解放運動の中でノーブラというのは性的・社会的解放の象徴であったそうです。
「ブラ焼き」という、女性がブラジャーをゴミ箱に捨てる行為が有名だとか。
もしそれが日本でも起こっていて、それが実現していたとしたら。
街を歩けばそこらじゅうノーブラの女でいっぱい。乳首も乳輪も透けまくり。
もう、どきどきですよ
ただそれは、バストの露出がタブー視されている風潮で育ったからこそ発生する期待ですね。
仮定が成立していたらそれは日常ですから、どきどきも何もないのですよ。興奮の要因に成りえません。
むしろその世界ではブラジャーによってバストを隠しつつ形作ることがエロティックなのかもしれませんね。
幸いといいますか、傾向は次第に露出の方向へと動いています。
早くおっぱい丸出しの時代にならぬものかと思いますが、そんな意識改革が起こる頃には完全に枯れていると思うので意味がありませんよ。
時代に間に合わないエンドウさんです。
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