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愛とお金と

2006年04月16日 00:18

>へいわさん
 確かに、おなかの冷えそうな写真ではあるかも(笑) 寝るときは気をつけます。
 趣……おもむき…… 私からは縁遠い言葉のような気もしますねヽ(´ー`)ノ

>kazuさん
 あんまり見ないで(*ノノ) そんなにいいもんでもないと思うので!

nobuさん
 や、男性の性染色体ヘテロ型だから遺伝的疾患が表面化しやすいだけであっ……たような気がするのですが、アレ、また間違ってたらどうしよう_| ̄|○|||



 でも教科書で見たとき、「Y染色体てちっさ!」と思ったのは確か。あの長さの違いはどこから来るんでしょう……そこから作られる体は、男も女も大して変わらない大きさなのに。不思議。



 ある方のログを読んでいたら、高校のとき「愛かお金か」で討論を行ったことを思い出しました。つまり愛情が金で買えるか、尊いのはどちらか、という話ですね。
 こんなテーマを設定した先生は、いったい何を考えていたのでしょうか……真剣十代しゃべり場か。
 その討論は結局、「じゃあお前、親の愛も金で買えると思うんか?」というのが決め手になりました。私たちはその頃、みんな親に学費を出してもらうのが当たり前の環境にいたし、程度の差こそあれ親の愛の偉大さというのを知っていたのでしょう。

 でもこの議題、結構難しいテーマであると思うのです。結婚して家族になっても、お金の問題で別れてしまう人たちもいます。あるいは、子供を手放してしまう人もいます。
 尊さの点で言えば、もちろん愛でしょ?と表向きは言わないといけないのですが……

 生きていくのに必要なのは、もちろんお金。愛情がなくなっても死にはしない(生きる気力をなくすなど、間接的な影響はあるかも知れません)でしょうが、お金のない人は暮らしていけません。何年前だったか、本当に餓死してしまった人もいたと記憶しています。
 それに対して、愛情というのはひどく曖昧な存在です。下手すると「俺って愛されてる?!」という勘違いだけで一生を渡っていく人もいるでしょうし、愛情があるから暮らしがどうなる、というものでもありません。傍に誰かを置きたいだけなら──そしてそれが特定の誰かであることにこだわらないのなら──、お金を積んでおけば何とでもなります。愛なんぞなくても、寂しさはまぎれる。あるいは、愛されていると錯覚できる。男性の方なら、風俗という形でそれを体験している方も多いはず。

 もちろん風俗などなら、「俺じゃなくて金が愛しいんだろ?」をまざまざと実感できることでしょう。それは寂しいことだと、誰でも知っています。
 でも無意識の計算の場合は、気付かない人も多いのじゃないかな。
 たとえば女性が、相手の年収を気にする。あまりにも生活の程度が違う人とは、根本的に付き合いを持たない。生活力のない男とは結婚しない。もちろん、逆に女性が男性に貢ぐ・養うという構図も世の中には存在します。
 そういうことを考えると、愛か、お金か、というのは一言では割り切れないんじゃないかなぁ……と考えたりする今日この頃です。

 今はまだ学生だからいいけど、社会に出たらきっと私も気にするね。しちゃうだろうね。人間って哀しいorz

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