- 名前
- エンドウ
- 性別
- ♂
- 年齢
- 41歳
- 住所
- 愛知
- 自己紹介
- 精液を溜めすぎると身体に悪いという俗説があります。 実際には常に新しい精子が作られて...
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それにしてもおっぱいが揉みたい
2006年04月10日 15:29
現在エンドウさんの家庭では、妙なダイエット食がブームとなっています。
具体的な分量はわからないのですが、ヨーグルトを豆乳で溶いたものにすり潰した(細かく刻んだ)キウイを混ぜた飲み物です。新陳代謝を促進させ、結果的に体重が減ることになるとかかんとか。
一度飲ませてもらいましたところ、淡白な味わいではあるものの不味くて飲めないような代物ではありませんでした。
即座に効果が出るものではなく、1年以上という長期的なスパンで取り組むダイエットのようで、途中であきらめてしまう人が多いとか。けれど、定期的に飲み続けるだけでいいそうなので、母と妹2人が挑戦しております。
「お兄ちゃんもやってみる?」と声をかけられましたが、謹んで遠慮しました。
だって僕、太らないもん。
ギネス級の大食いというわけではありませんけれど、よく食べるほうであるエンドウさん。
パスタならば3人前ぐらい、丼物ならば特盛り2杯ぐらいお腹に入れなければ満足した気にならないので大食いと呼ばれるのは道理です。けれども、常にそれぐらいの分量を食べているわけではないので、たくさん食べることが「できる」人という程度の認識にとどめておいて欲しいものです。
それはともかくとしてよく食べるのですが、なぜか太りません。
体重計の針が63キロを超えることはなく、むしろ夏バテなどで下がることしかないんですよ。しかし、だからと言って体重に関する悩みを抱えていないと言うわけではありません。
脂肪もないけれど筋肉もない薄っすらとした身体は若干のコンプレックスでございます。
身長もあり、骨格も比較的しっかりしているというのに、インドアな性分のおかげで筋肉とは疎遠でした。プールで半裸になったとき、あるいはベッドインで全裸になったとき、生っちょろい身体を晒すのはなんとも貧相なものです。
筋量を増やして体重を上げたい。
ここはひとつセクシャルなボディを作ってやろうじゃありませんか、と思って筋トレを始めたのが確か3ヶ月ほど前。慣れない負荷にくじけそうになる身体を励ましたり甘やかしたりしているうち、ちょっとずつ変化が現れてきました。
肩周りや腕などが少し逞しくなっているのは気のせいではありません。そして、個人的に刮目すべきは大胸筋です。寄せて寄せて上げてみたら、谷間のようなものができるじゃないですか。まあ、女性のそれとは質が全然違いますけど。
もしかしてこれはBカップぐらいあるんじゃなかろうかと思い、メジャーを用意しました。
図ってみましたところ、エンドウさんのバストもとい胸囲は90センチ。巨乳の領域ではないですか。僕が女性だったらグラマラスな肢体を誇る長身の美女となっていたのではと思いましたが、それは早計です。まだアンダーを測っていません。
気になるアンダーバストは82センチでした。なんだ、AAカップじゃないですか。わかりきっていたことですが、男性と女性とでは身体のつくりからして違うので当たり前ですね。
これでFカップとかあったら明らかに骨格がおかしい。
まあ、きちんと測定したわけではないので正確なデータではないのですが、エンドウさんのおっぱいはAAカップということでした。
慎ましやかな胸に手を当てると、郷愁に似た感情が発露します。最後におっぱいを触ったのはいつのことだったか・・・。もう、遠い昔のことのようで、さっぱり思い出せません。
ああ、なんだか唐突におっぱいが揉みたい。
揉みしだきたい。
趣味的な話になりますが、エンドウさんはおっぱいが好きです。
手のひらに納まるぐらいの小ささは、そっと包み込めるので好き。
はちきれんばかりに熟れた大きさは、力感に溢れているので好き。
激しくない主張をする中間サイズは、魅力を兼ねているので好き。
若々しく張りがあるおっぱいの、揉みごたえがあるところが楽しい。
垂れていようとも、お風呂の中でぷかぷかと浮き上がる様は楽しい。
老いてゆき衰えたおっぱいにはセクシャルな魅力はありません。けれど、長らくを生き抜いてきたそれには、なんともいえない安堵を感じさせるものがあります。
おっぱいには人と同じく個性があり、それぞれに良いところがあるのです。
ですから、巨乳をよしとする見下げ果てた現状には警鐘を鳴らしたい。
グラビアを開けばどこもかしこも谷間だらけ。かかってきなさいとばかりに発せられるバストショットからのセックスアピールは、得てして男性の下心をわしづかみにします。
大は小を兼ねると言うように、おっぱいは大きければ大きいほど見る者に与えるインパクトが膨れ上がります。巨乳がもてはやされるのは道具として使いやすいからに他なりませんが、豊胸手術の広告などに見られるように巨乳崇拝が世論として位置づけられている感は否めません。
しかし、おっぱいとは決して評価されるべきものではありません。なぜなら、それらは全て愛でられるものであるからです。どうか大きさばかりに囚われて卑屈になるのではなく、ひとつの個性として価値を見出して欲しいものです。
それにしてもおっぱいが揉みたい。
筋繊維が強化されきっていないエンドウさんのおっぱいは、まだ柔らかさを残しています。
ほのかな感触にため息をつき、再びおっぱいが揉める日を夢見るのでした。
このウラログへのコメント
エンドウさんの言葉に勇気づけられた。おっぱいは小さくても大きくてもいいんだね。ちなみにえりも大食い。
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