デジカフェはJavaScriptを使用しています。

JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。

抑圧された感情の解放+感じ方、考え方の変革

2009年02月23日 00:33

若いころ、対人関係や、社会変革の活動の中で苦しい体験をした。

女の人との関係が上手く行かなかったし、

苦しみ抑圧された人々の解放のためとかいう理想のために、

自分のありのままの気持ち、欲求を抑圧し、

過激な活動に入り、暴力的な行動に走り、罪を犯し

懲役18年の刑を受けた。

その過程で、自分のも野の考え方、感じ方の中にある誤りに気づき、

そうしたものを少しづつ変えてきた。


そうした自分のありようを変え始めた初めのころ、

そのころ読んだ心理療法の本を読んで、

それを自分なりにやってみたことがある。

自分のあり方が根本的に間違っている、

変わらなければならないという思いを抱き始めて、

とてもつらくて仕様がない時期だった。

アルバイトの帰りの電車の中で、

夕日を見ながら涙が出てきて仕様がなかった。

ふとそれが幼いころ父母が激しい不和な関係の中にあった家に

夕方になると帰るときに味わっていた悲しみに似ている気がした。

それでそのころ居候していた友達のマンションに帰ると、

私にあてがわれていた部屋に入るとすぐ、

座り込んで、「おかー、おとー」と小さく叫んでみた。

するとそれだけで、私の中から激しい悲しみが吹き出てきて

私は大声でおっかー、おとーと叫びながら、

口や胸が張り裂けんばかりに泣き始めた。

それまで私はそんなに激しく泣いたことはなかった。

まるであごが外れんばかりに口が開き、

胸が張り裂けんばかりに収縮と拡張を繰り返し、

私はその部屋で1時間以上も泣き叫んだ。

そしていつか自然に泣きやんだ。

不思議なことに私は、とても深い、身も心も洗われたような

心地よい静けさの中にいた。

人間にこんな安らぎがあるのだというような、

物心ついてから初めてのような、深い喜びの中にいる感じだった。


こうしたことは私の変化の最初の1歩に過ぎなかった。

しかしともあれ、私はこうした体験をとおして、

幼少期の私が、いかに父母の不和な家庭に苦しみ

悲しみを抱いて、しかもそれを余り表現することなく抑圧してきたか、

まざまざと知った。

このウラログへのコメント

まだコメントがありません。最初のコメントを書いてみませんか?

コメントを書く

同じ趣味の友達を探そう♪

  • 新規会員登録(無料)

プロフィール

そよ風タンポポ

  • メールを送信する
<2009年02月>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28